主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

ヨハネの福音書4:1-26 「いのちの水」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」(ヨハネの福音書4:14)

【礼拝メッセージ要旨】

今日の個所には、ある一人の女性がイエスに出会い、その人生が大きく変えられていくという出来事が描かれています。今日はこのところから、イエスが与える「いのちの水」について、ご一緒に思いを巡らしたいと思います。

1)サマリアの女性との出会い
今日の個所の舞台は、ユダヤとガリラヤの間にある「サマリア」での出来事となります。この時イエスは、南のユダヤから北のガリラヤに向けて旅をしていました。「しかし、サマリアを通って行かなければならなかった」(4) 当時ユダヤ人は、サマリアを通ることを極力避けていました。歴史的な背景から、移住民との雑婚が進んだサマリア人をユダヤ人は蔑んで嫌っていたのです。しかしイエスは、この時あえてサマリアを通りました。昼の12時頃、イエスは、途中のスカルという町まで来た時に、そこにあった井戸のそばで座って休んでおられました。そこに、一人のサマリア人の女性が水を汲みにやってきます。当時、水汲みは女性の仕事とされていて、普通は朝か夕方の涼しい時間帯に、近所の女性たちで連れだって水汲みに来ていたようです。しかし、この女性は昼の暑い時間帯に、しかもたった一人で水汲みに来ていたというのです。彼女は人目を避けていました。イエスは彼女に、「わたしに水を飲ませてください」と声をかけます。女性は驚いて、なぜユダヤ人のあなたが、サマリア人のしかも女の私に水を求めるのですかと答えました。ユダヤ人の男性がサマリア人の女性に声を掛けるということは、あり得ないことだったからです。

2)生ける水
それに対してイエスは、自分は「生ける水」(湧き出る水)を与えることができると言われました。さらに「わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがない」(13,14)と言われました。「いつまでも渇くことのない水がある」というのです。これは、「魂の渇き」(心の渇き)をいやしてくれる水のことです。「渇く」ということは、満たされていないものを切実に求めることです。私たちの心が満たされていないと思える時に、「心の渇き」を覚えます。心が満たされていれば、「幸せ」を感じることできると思います。例えば、欲しい物が手に入れば、一時幸せを感じることが出来るでしょう。しかし、いつまでも続くとは限りません。お金やモノでは、心の渇きを完全にいやすことはできません。人の愛であっても、変わりうるものです。そんな「魂の渇き」をいやしてくれる水、しかも、いつまでも決して渇くことのない水がある、というのです。その水を、イエスは与えてくださると言われました。「わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」(14) 決して枯れることのない湧き水が、その人の心にコンコンと湧き出てくるというのです。それは、その人の心に変わることのない喜びや希望が与えられる、ということではないでしょうか。

3)イエスを信じて変えられる
それを聞いて彼女は、「その水を私に下さい」と願いました。これに対してイエスは、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」(16)と言われて、「私には夫はいません」と答えた女性に、彼女にかつて5人の夫がいて、今は夫でない男性と一緒にいるという私生活について言い当てました。イエスは、この女性の中にあった「心の渇き」に触れられたのです。彼女が一番必要とし、求めていたけれども得られなかったこと、満たされていないことでした。イエスはそこに目を向けさせました。この女性は、夫から愛されることがなかったのかもしれません。幸せを感じることができないでいたのだと思います。それで、人目を避けて一人で水を汲みに来ていたようです。そんな「心の渇き」が、彼女の中にありました。

彼女はイエスが全部知っておられたことに驚いたはずです。でも、嬉しかったのではないでしょうか。このお方がこんな自分に会いに来てくれた、と分かったからです。このお方は、私の悲しみも苦しみもすべて分かっておられる。そして、「あなたに決して渇くことのない水を与えよう」と言ってくださっている。そのことが少しずつ分かって来て、彼女の心に変化がもたらされていきました。それまで経験したことのないような喜びで満たされていったのではないでしょうか。そうしてイエスと話をするうちに、このお方は昔から伝えられてきた「キリスト」と呼ばれるメシア(救い主)なのでは、と気づかされていきます。イエスは、彼女に自分がキリストであることをハッキリと告げました(26)。そのことが分かって、この女性はイエスを信じることが出来たと思います。この時から、彼女の心に「生ける水」が湧き出てきました。自分はこの大きなお方に受け入れられている、愛されていると実感することができたと思います。その心に、喜びと希望がもたらされていきました。そのあと、この女性は水瓶をその場に置いて町に向かいます。そして町の人々にイエスに出会ったことを証ししました。イエスに出会って、喜びに満たされて、その喜びを人々に伝えずにはいられなくなったのです。こうして、彼女の人生は大きく変えられました。

4)私たちのところにも
イエス様は、私たちにも「いのちの水」を与えてくださるお方です。イエス様は、私たち一人一人のことをすべてご存知です。私も、イエス様に出会い、イエス様を心にお迎えして、変わることのない喜びで満たされていきました。確かに、「渇くことのないいのちの水」をいただいたのだなと実感しています。本当に感謝です。皆さんのところにも、イエス様が会いに来てくださったのではないでしょうか。また、今、魂の渇きを覚えている人々を救いへ導こうと捜し求めておられます。このことをぜひ心に留めたいと思います。そして、イエスが与える「いのちの水」を、自分のものとして感謝して受け取りたいと思います。