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列王記第一19:1-18 「主よ、もう十分です」 齋藤牧師
【今週のみことば】
「神は われらの避け所 また力。苦しむとき そこにある強き助け。」(詩篇46:1)
【礼拝メッセージ要旨】
バアルの預言者たちを相手に大勝利を収めたエリヤでしたが、その直後、一転して彼は弱り果ててしまいます。そんなエリヤを主はどのように取り扱われたでしょうか。
1)イゼベルのことばを恐れて逃亡するエリヤ
アハブ王は、エリヤに敗北した悔しさから、事の次第を妻イゼベルに報告します。イゼベルは怒り、エリヤに報復を宣言しました(2)。これを聞いたエリヤは、何とイゼベルの言葉を恐れて逃げ出してしまいます。彼は若い者を連れて、南に向かってひたすら逃げました。神から託された大事な使命を放棄し、持ち場を離れて逃げ出してしまったようにも見えます。やがてユダの南の端にあるベエル・シェバまでたどり着き、そこからさらに一人で南の荒野へ一日の道のりを入っていきました。彼は主に助けを求めて、主との交わりを願ったのではないでしょうか。
2)主よ、もう十分です
「主よ、もう十分です。私のいのちを取ってください。私は父祖たちにまさっていませんから。」(4) 「もうこれ以上頑張れません、降参です、もう無理です」そんな悲痛な思いが込められているように思います。彼は主の前に「弱音を吐き」ました。あの大仕事を成し遂げたエリヤが、その直後にイゼベルのたった一言で、これだけ弱り果ててしまったのです。一体どうしてなのでしょう?「私は父祖たちにまさっていませんから」彼は先祖たちと自分を比べています。彼は、いつしか自分の力で頑張らねば、という思いに駆られていたようです。「これからも戦い続けて、前よりももっと良い働きをしなければ」(主の期待に応えなければ)、そんな思いになっていたのではないでしょうか。人の力には限界があります。エリヤはバーンアウトして(燃え尽きて)いたようです。私たちも、エリヤのように弱り果ててしまうことがあるかもしれません。そんな時どうすればいいのでしょう。エリヤの取った行動と、主がなされたことに教えられることがあるように思います。
3)休息と食事による回復
まずエリヤは、一人主のもとに逃げ込みました。そして正直に弱音を吐きました。折れてしまうまで我慢するのではなくて、自分の苦しい心の内を正直に神に打ち明けることです。祈ることです。恥も外聞も捨てて、主の前に降参することも必要なことです。 そんなエリヤに対して、主は「粋な計らい」によって、痛んだエリヤの心を取り扱われます。疲れ果てて眠ってしまったエリヤに御使いが現われ、焼いたパン菓子と、壷に入った水が与えられたのです。主は、疲れ果てていたエリヤに休息と食事を与えました。「起きて食べなさい。旅の道のりはまだ長いのだから」(7)「向かうべきところがある」というのです。そうして彼は食べ物に力を得て、神の山ホレブに向かいます。
4)ホレブ山での主の語り掛け
「ホレブ山」は、かつてモーセが神の戒めである「律法」を授かったところです。エリヤは40日40夜歩いて、そのホレブ山を目指しました。そこで主にお会いしたい、という思いがあったのではないでしょうか。ホレブに着いて、そこの洞穴で一夜を過ごします。「エリヤよ、ここで何をしているのか」(9) 主は、あえてエリヤ自身が自分の口で答えることを求めたようです。それに対してエリヤは、主の預言者はもう自分一人しか残っていないと答えています。さらに主は、「外に出て、山の上で主の前に立て」と命じます。その時主が通り過ぎて、「激しい大風」が吹き、「地震」が起こり、そして「火」がありました。しかし、これらの中に主はおられませんでした。そしてそのあとに、「かすかな細い声」が聞こえてきました。「大風や地震や火」と「かすかな細い声」は、非常に対照的です。どうして「大風や地震や火の中からの力強い声」ではなかったのでしょう。これは、この時の弱り果てていたエリヤの心に届くように主が彼の心に寄り添われた、ということではないでしょうか。確かに主は、すべてを支配しておられる万軍の主ですが、同時に弱い者の立場に寄り添ってくださるお方です。そのことは、神がひとり子イエスを人としてこの世に遣わしてくださったことに表わされています。この「かすかな細い声」だったからこそ、この時のエリヤの弱り果てた痛んだ心に届いたのだと思います。ここに主の愛と憐れみを感じます。
5)新たな使命が与えられる
そうして主は、エリヤに新たな使命を与えられます。後にアラムの王となる「ハザエル」と北イスラエルの王となる「エフ―」、そしてエリヤの後継者となる「エリシャ」に油を注げ(任命せよ)というのです。実際には、ハザエルとエフ―が立てられることは、エリヤによってではなくて、エリシャによって実現することになります。さらに主は、「わたしはイスラエルの中に7千人を残している」と告げました。バアルには決して従わずにイスラエルの神である主に従い通す者たちがこれだけ残されている、という約束です。これは、エリヤにとって大きな励ましとなりました。そうしてエリヤは、主の深いお取り扱いを受けて回復し、北イスラエルへと帰っていきました。
最後に、今週のみことばに目を留めたいと思います。「神は われらの避け所 また力。苦しむとき そこにある強き助け。」(詩篇46:1) 今日のエリヤの姿から、困難に置かれた時、私たちには「避け所」があるということをしっかりと心に留めたいと思います。どんなに苦しい時であっても、私たちは主に助けを求めることができます。主のもとに「逃げ込める」のです。主は、私たちの「避け所」となってくださいます。主は私たちに寄り添い、休息と平安を与えてくださいます。そして、みことばによって語り掛け、力を与えてくださいます。このことを信じて、どんな時にも主に拠り頼んでまいりましょう。