主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

列王記第二2:1-14 「受け継がれるバトン」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、一切の重荷とまとわりつく罪を捨てて、自分の前に置かれている競走を、忍耐をもって走り続けようではありませんか。」(ヘブル人への手紙12:1)

【礼拝メッセージ要旨】

今日の個所には、預言者エリヤから後継者のエリシャへとバトンが受け継がれる様子が描かれています。今日はこの二人の姿に目を留めたいと思います。

1)エリシャの召し
前回は、イスラエルの預言者エリヤが、アハブ王の妻イゼベルの言葉を恐れて逃げ出してしまうという出来事から学びました。死をも願うほど弱り果ててしまったエリヤに、主は休息と食事を与え、彼の心に寄り添うように語り掛けて、新たな使命を与えられました。その一つとして、「エリシャ」に油を注いで、彼に代わる後継者とすることが示されました。やがてエリヤはエリシャを召し出し、エリシャはエリヤについていきます(列王記第一19:19-21)。その後、二人の別れの時がやってきました。

2)天に上げられるエリヤ
その日、エリヤはエリシャを連れて各地を訪れます。「ここにとどまっていなさい」と告げるエリヤに、エリシャは「私は決してあなたから離れません」と言って、エリヤについて行きました。この日エリヤがエリシャの前から取り上げられることは、エリヤもエリシャも、そして他の預言者たちも分かっていました。「エリヤがいなくなる」ということは、彼らにとって一大事件であったはずです。そうして二人がヨルダン川のほとりに立った時、エリヤが自分の外套を丸めてヨルダン川の水を打つと、水が両側に分かれて、二人は向こう岸に渡りました。奇跡のわざです。これは、神がエリヤに与えた霊の力(神の賜物)を表しています。その時、「あなたのために何をしようか」と尋ねるエリヤに、エリシャは「あなたの霊のうちから、二倍の分を私のものにしてください」と答えます。「二倍の分」とは、イスラエルの社会での「長子の権利」を意味しています。エリシャは、エリヤの「後継ぎ」(正式な後継者)としての霊の力を求めたのです。それに対してエリヤは、「難しい注文をする」と答えます。彼は神のみこころに委ねていました。すると、エリシャの目の前でエリヤは火の戦車に乗せられて、竜巻とともに天に上げられていきました(11)。エリヤは生きたまま天に引き上げられたのです。

3)エリシャの思い
この時エリシャはどんな思いでエリヤを見送ったのでしょうか。まず彼の心には、エリヤと別れることの悲しさや寂しさがあったのではないでしょうか。また、一人残されることへの不安や心細さもあったでしょう。そして、大きなプレッシャーも感じていたはずです。後を受け継ぐ者としての重圧は相当なものであったと思います。

4)エリシャ、霊の力を受ける
そうしてエリヤが天に上げられたあと、エリシャはエリヤの身から落ちた外套を取り上げて、エリヤがしたようにヨルダン川の水を打ちます。この時彼は、「主はどこにおられるのですか」と神を求めました。エリシャはもはや、エリヤに頼る者ではなく、神により頼む者とされていました。すると、川の水が両側に分かれて、そこを渡ることが出来ました。エリシャに、霊の力が神の賜物として与えられました。以来、エリシャは、エリヤに代わる預言者として精力的に神に仕えていきます。

5)エリヤはなぜ天に上げられたのか
ところで、この時エリヤはどうして生きたまま天に上げられたのでしょう。体力的には、まだ預言者として働くことはできたと思います。生涯現役で、預言者集団の先頭に立ち続けることもできたはずです。それでも神は、この時に彼を天に引き上げたのです。その理由は、私たちにはハッキリと知ることはできません。でも、分かることがあるように思います。
①一つは、「それが神の定めたふさわしい時であった」ということです。神様のご計画は、人知をはるかに超えた高いところにあります。この時エリヤが天に上げられることが、神が定めたふさわしい時であったのだと思います。私たちの人生も神の御手の中にある、ということを覚えたいと思います。
②もう一つ言えることは、「エリシャを一人立ちさせるため」ということです。エリヤは、自分に残された時間で、自分のうしろ姿を見せながら、自分の持てるものをすべてエリシャに伝えたと思います。そうして神は、ふさわしい時に、エリシャが「一人立ち」する機会を与えました。エリシャにとって一番良い時に、エリヤから離されて、神により頼む者とされていったのではないでしょうか。

6)この出来事から教えられること
最後に、今日の個所から教えられることとして2つのことを挙げたいと思います。
①一つは、「次の世代に伝えるものがある」ということです。エリヤがエリシャを見出して彼を育てたように、私たちも、次の世代の人たちに伝えるものがあるのではないでしょうか。特に、私たち信仰者にとって最も大切なことは、「私たちの信仰」であると言えます。たとえそれが受け継がれることがなかったとしても、私たちが造り主である全能の神を信じ、キリストを受け入れて、クリスチャンとして歩んできた「生きざま」や「神の愛」を、家族や周りの人々に示すことができたら、それはすばらしいことです。

②もう一つのことは、「先人に学ぶことがある」ということです。エリシャがエリヤについて行って多くを学んだように、私たちも、人生の先輩の方々に学ぶことが多くあるように思います。聖書に登場する信仰者の姿や、長い教会の歴史を通して築かれたものからも、信仰者として生きていくために大切なことを教えられます。先に召された信仰の先輩の方々が、雲のように私たちを取り巻いているのです(ヘブル12:1)。時代を越えた多くの先人たちが、私たちの歩みを見守り、エールを送ってくれているのではないでしょうか。

先人たちのエールに励まされて、私たちに与えられた地上での時を罪と戦いながら、私たちのゴールであるイエス様を見つめて、神様がよしとされる時まで忍耐を持って走り続けてまいりましょう。