主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

ヨハネの福音書6:26-40 「いのちのパン」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」(ヨハネの福音書6:35)

【礼拝メッセージ要旨】

イエスは、「わたしはいのちのパンです」と言われました。イエスがいのちのパンであるとはどういうことなのでしょうか。今日は主の晩餐式に関連して、「いのちのパンであるイエス・キリスト」ということについて、ご一緒に思いを巡らしたいと思います。

1)人々の求め
ヨハネ6章前半のところには、イエスがガリラヤ湖の岸辺で、イエスについてきた大勢の人たち5つのパンと2匹の魚から十分に分け与えた、という奇跡の出来事が記されています。その翌日、その人々はイエスを捜して、船で向こう岸のカペナウムの町まで追いかけていきます。そこでイエスを見つけて、イエスは彼らに対して大切な教えをなさいました。「あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです。」(26) 彼らはイエスに不思議な力があることを知り、期待をかけました。彼らはイエスがこのユダヤの国の王となって、ローマの支配から助け出してくれることを期待したようです(15)。イエスは、そんな人々の思いがよく分かっていました。

2)なくなってしまう食べ物のためでなく
それに対してイエスはこう言われました。「なくなってしまう食べ物のためではなく、いつまでもなくならい、永遠のいのちに至る食べ物のために働きなさい。」(27) 「なくなってしまう食べ物のためではなく」とは、どういう意味でしょうか。人々が求めていたものは、「なくなってしまう食べ物」だったということです。人々が求めていたことは、一時の問題の解決や一時の必要が満たされることでした。その時満たされたとしても、やがてまた別の問題が起こり、別の必要が生じます。確かに、世の中の多くの人々は、「なくなってしまう食べ物」を求めていると言えるかもしれません。目の前に置かれた問題が解決することを願い、今置かれている苦しい状況から一刻も早く解放されたいと願い、今必要としていることが満たされることを求めます。しかし、満たされたとしてもそれは一時のことです。
イエスは、それ以上に価値ある、求めるべきものがあると言われました。「いつまでもなくならない、永遠のいのちに至る食べ物のために働きなさい」(27)とあります。「なくなってしまう食べ物」ではなくて、「なくなることのない食べ物」がある、というのです。それを求めなさい、わたしはそれを与えようと言っておられます。

3)いのちのパン
そうして彼らとのやり取りをする中で、イエスは「天の神がお与えになるまことのパン」について話されました。イエスは、「わたしがいのちのパンです」(35)と言われました。イエスがいのちのパンであるとは、一体どういうことを言っているのでしょうか。2つの点から考えてみたいと思います。

①まず一つ目のことは、「魂のために必要なパン」ということです。
当時、パンは人々の大切な主食でした。生きていくためになくてはならない、毎日必要なものです。体を養うためにパンが必要であるように、魂のためにもパンが必要です。「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる。」(マタイ4:4) 人にとってもちろん糧は必要ですが、もっと大事なものがあるとイエスは言われました。いつまでも心を満たし、魂を生かしてくれる「魂のためのパン」がある、というのです。それがイエス・キリスト、イエスご自身なのです。「わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」(35) イエス様は、魂の飢え渇きを本当に満たすことのできるパンとして、私たちのところに来てくださいました。

②もう一つ目を留めたいことは、「いのちを与えるパン」ということです。
イエスが天から遣わされた目的は、イエスを信じる者がみな「永遠のいのち」を持つことでした(40)。「永遠のいのち」とは、造り主である神様との正しい関係に入れられることを意味しています。イエスの十字架の贖いを信じる者は、その罪を赦されて、永遠に続く神様との関係(交わり)の中に入れられるのです。これが、聖書の語る「永遠のいのち」です。その「永遠のいのち」を与えるパンとしてイエスは来られました。

4)いのちのパンを受け取るために
では、どうすればこの「いのちのパン」を自分のものとして受け取ることができるでしょうか。35節に大切なことが2つ記されています。一つは、「イエスのもとに来ること」です。そしてもう一つのことは、「イエスを信じること」です。イエスを信じるとは、イエスに信頼することです。そして、自分自身をイエスにゆだねること、明け渡すことです。イエスのもとに来て、イエスを信じるならば、必ずいのちのパンを受け取ることができます。それはかけがえのない、本当にすばらしい人生の宝物です。

私たちが主の晩餐にあずかる時、パンを食し、ぶどうの杯を飲むことを通して、いのちのパンであるイエス様をいただいていることを、感謝をもって覚えたいと思います。この素晴らしい恵みを覚えて、主の晩餐にあずかりましょう。