●主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)
列王記第一16:29-17:16 「尽きない恵み」 齋藤牧師
【今週のみことば】
「エリヤを通して言われた主のことばのとおり、かめの粉は尽きず、壷の油はなくならなかった。」(列王記第一17:16)
【礼拝メッセージ要旨】
イスラエルが北と南に分裂後、北イスラエルでは「善王」はほとんど現われず、民の心は主から離れていました。しかし神は、彼らのことも決して見放さず、預言者を遣わして悔い改めるようにとメッセージを送り続けます。今日の個所にも、そんな悪い王と、彼のもとに遣わされた一人の預言者の姿が描かれています。
1)イスラエル最悪の王アハブ
やがて、北イスラエルの7人目の王として「アハブ」が立てられます。「オムリの子アハブは、彼以前のだれよりも主の目に悪であることを行った」(30) 彼は主に徹底的に背くようなことをして、「イスラエル史上最悪の王」とも呼ばれます。その原因は、彼が外国からめとった妻の「イゼベル」がバアル礼拝をイスラエルに持ち込んだことにありました。
2)預言者エリヤ
そんな悪い時代に、神は一人の預言者を召し出します。神はティシュベ人「エリヤ」に命じて、彼をアハブ王のもとに遣わしました。エリヤはこの使命を受けて、アハブを恐れずに彼の前に出て行き、主のことばを告げます。「私のことばによるのでなければ、ここ数年の間、露も降りず、雨も降らない。」(17:1) それはアハブ王が行っていた悪に対する主のさばきの予告であり警告でした。これを聞いたアハブはエリヤの命を狙うようになります。そんなエリヤを、主は不思議な方法で守られます。エリヤに東に向かい、その先にあるケリテ川のほとりに身を隠すように命じました。何と、そこで「烏」が彼を養うというのです。彼はその言葉の通りに従います。すると、朝と夕に烏が「パンと肉」を運んできました。
3)やもめに養われる
やがてその川の水が枯れると、今度はシドンのツァレファテに向かうようにと命じられます。そこで「一人のやもめ」が彼を養うというのです。エリヤは主のことばに従ってツァレファテに向かい、たきぎを拾い集めていた一人のやもめに出会います。彼は彼女に水とパンを求めますが、そのやもめには、かめの中に一握りの粉と壷の中にほんの少しの油しか残っていませんでした。それで最後のパンを焼いて、息子と一緒に食べて死のうとしていたのです。それでもエリヤは、まず自分のためにパンを作るようにと告げます。「そのかめの粉も、壷の油も尽きることはない」(14)このやもめも、主から大きなチャレンジを受けました。信仰が試されるようなことでした。
彼女はエリヤの言葉を信じて従います。言われた通りに最後のパンを焼いて、それをエリヤに与えました。しかし、ここで不思議なことが起こります。空になったはずのかめの中にはまだ粉があり、壷の中にはまだ油が残っていたのです。そうして彼女は自分と家族の分を作って長い間食べ、エリヤもそこで養われました。
4)神は小さな者をも用いられる
今日のこの個所から、2つの大事なことに目を留めたいと思います。一つ目のことは、「神は小さな者をも用いられる」ということです。神は、アハブと民が主に立ち返るようにと、預言者エリヤを遣わしました。人を用いられたのです。預言者と言えども、一国の王の前では取るに足りない小さな存在です。しかし神は、そんな小さな者をご自身のみわざを行うために用いられました。エリヤは主から託された使命に忠実に従います。そんなエリヤを、主はアハブの迫害の手から守り、不思議な方法で養われました。ケリテ川のほとりでは「烏」が用いられました。それこそ「小さな生き物」です。そして、あの「やもめ」を用いてエリヤを養いました。本来、人に養ってもらわなければならない貧しいやもめがエリヤを養うという、あり得ないようなことをされたのです。神はあえてこの貧しいやもめを用いられたのではないでしょうか。それは彼女もそしてエリヤも、その信仰が試されるようなことでした。そして彼女は、主の約束を信じて最後の粉と油を惜しみなくエリヤのためにささげました。その時主はすべての必要を満たしてくださいました。
私たちも本当に「小さな者」です。主は、こんな小さな私たちをもご用のために大きく用いてくださいます。今、私たちが置かれている家庭や職場や地域で、そして教会で、自分にできることがあるのではないでしょうか。主は、私たちをも用いてご自身のみわざをなされます。このことを信じて、私たちに与えられている賜物を惜しみなくささげていきたいと思います。
5)尽きない恵み
もう一つのことは、「神の恵みは尽きることがない」ということです。「かめの粉は尽きず、壷の油はなくならなかった。」(16) 主の恵みは決してなくなることはありません。神の恵みを求めるすべての人に、神は惜しみなく、豊かに恵みを注いでくださいます。神様は、私たち一人一人を変わることなく愛しておられます。私たちのことをひと時も忘れることなく、覚えておられて、恵みを与えてくださるお方です。「尽きることのない恵み」が注がれています。神の恵みは「無尽蔵」なのです。
神様が私たちに与えてくださった最高の恵みは、神のひとり子イエス様を与えてくださったことではないでしょうか。父なる神様は、ひとり子イエスを人として私たちに与えてくださいました。イエス様が来られたことで、神がどれほど私たちのことを愛しておられるか、分かるようにされました。イエス様は、十字架で私たちの罪の贖いを成し遂げて、罪と死に打ち勝ってよみがえり、今も生きて、私たちと一緒に人生を歩んでくださいます。これほど大きな恵みはないのではないでしょうか。
この尽きることのない豊かな恵みが私たちに注がれていることを信じて、エリヤが従ったように、そしてあのやもめが従ったように、イエス様にお従いする者となりたいと思います。