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マタイの福音書25:14-30 「賜物を用いて仕え合う」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「それぞれが賜物を受けているのですから、神の様々な恵みの良い管理者として、その賜物を用いて互いに仕え合いなさい。」(ペテロの手紙第一4:10)

【礼拝メッセージ要旨】

今日は、今年度の目標聖句に関連して、「タラントのたとえ話」から、神様が私たちに与えてくださっている「賜物」について考えてみたいと思います。

1)「天の御国」の教え
マタイ24章から25章にかけて、イエスが十字架に向かわれる前に、エルサレムの神殿のところで弟子たちに教えられたことが記されています。イエスは、やがて戦争や飢饉や災害が起こり、世の中に不法がはびこって、人々の心は冷え、大変な苦難の時代が訪れると言われました。そうして、世の終わりの時が来ると告げられました。その時にイエスが再び来られて、最後の審判が下されて、正しい者たちは天の御国に迎え入れられるというのです。そして、天の御国に迎え入れられるために、イエスがいつ来られてもいいように、「目を覚まして」「備えていなさい」と教えられました。そのことを25章で2つのたとえを通して語っています。一つは、「ともしびを持って花婿を迎える10人の娘のたとえ」です。そしてもう一つが「タラントのたとえ」です。イエスはこのたとえを通して、イエスが再び来られる時まで忠実であるようにと教えています。
旅に出ることになった主人が3人のしもべたちに、それぞれ5タラント、2タラント、1タラントを預けます。先の二人のしもべたちは、それぞれ商売をして預かったタラントを2倍に増やしましたが、1タラント預かったしもべは怖くなってそれを地の中に隠しておきました。やがて主人が帰って来て清算をし、タラントを増やした二人は主人に褒められますが、1タラントのしもべはそれを取り上げられてしまいます。このたとえ話を通して、イエスは「賜物」についていくつかのことを教えているように思います。今日はそのことを、ペテロの手紙第一4:10と照らし合わせながら、3つの点から確認したいと思います。

2)一人一人が神から賜物を豊かに受けている
まず一点目のことは、「一人一人が神から賜物を豊かに受けている」ということです。「賜物」とは、神様から賜るもの(与えられるもの)を意味しています。私たちが生まれながらに持っている性格や様々な能力、私たちの体や与えられている財や時間も賜物と言えます。御霊によって与えられる「御霊の賜物」もあります。賜物と訳される「カリスマ」は、「カリス」(恵み)という言葉に由来しています。つまり、その人に恵みによって神から与えられたもの、それが「賜物」なのです。「それぞれが賜物を豊かに受けているのですから」(ペテロⅠ4:10) 神は、すべての人にそれぞれに賜物を分け与えておられます。タラントのたとえにあるように、皆1タラント以上預かっていることになります。1タラントは6000日分の給料に相当する額です。それほど豊かに、そして十分なものを神様は私たち一人一人に与えてくださっているのです。5タラント、2タラント、1タラントの違いは、神が与える賜物が一人ひとり異なることを意味しています。優劣ではありません。ですので、他の人と比べたり、うらやむ必要はないのです。神様は、その人にふさわしい豊かな賜物を十分に与えてくださっています。皆さんに与えられている賜物は何でしょうか。このことを感謝して、しっかりと心に留めたいと思います。

3)賜物を正しく管理する責任が委ねられている
2点目に確認したいことは、「私たちには、賜物を正しく管理する責任が委ねられている」ということです。「神の様々な恵みの良い管理者として」(ペテロⅠ4:10) 私たちは、賜物の「良い管理者」となることが期待されています。タラントのたとえの中で、主人がしもべたちに期待したことは、預けたタラントをそれぞれに有効に用いて生かすことでした。二人のしもべたちは、預かったタラントを用いて商売をして、それぞれ2倍に増やしました。それは、賜物を用いることによって恵みが増し加わることを意味しています。そのことによって主人は喜び、しもべも主人と一緒に喜びました。逆に、預かった1タラントを地中に隠してしまったしもべのように、賜物を用いることなくただ寝かせてしまうとしたら、実にもったいないことです。そのように、私たちが地上で生かされている間、それぞれに与えられている賜物を大いに用いて生かしていくこと(正しく管理すること)を神は期待されています。その責任が私たちに委ねられているのです。もし、用いられていない賜物があるとしたら、地中に隠さないでぜひ有効に用いていきたいと思います。

4)賜物を用いて互いに仕え合う
最後に3点目のこととして、「賜物を用いて互いに仕え合う」ということを確認したいと思います。「その賜物を用いて互いに仕え合いなさい」(ペテロⅠ4:10)賜物は、「互いに仕え合うために」与えられていることが分かります。聖書は、賜物の目的として他にも「皆の益となるために」(コリントⅠ12:7)、「教会を成長させるために」(コリントⅠ14:12)と語っています。賜物は、お互いに仕え合い、皆の益となるために与えられているということです。他者のために自分の賜物を惜しみなく用いることを、神は望んでおられるのではないでしょうか。イエスは、「最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。」(マタイ25:40)と言われました。他者のために仕えることは、イエスに仕えることでもあります。今私たちが置かれている家庭や職場や地域で、そして教会で、私たちの賜物を惜しみなく喜んでささげていきたいと思います。

「すべてにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです。」(ペテロⅠ4:11) 私たちの賜物を用いることを通して、一人でも多くの人が造り主である神に思いを向けることができたらすばらしいと思います。「あの人にこんなに素晴らしい賜物を与えてくださった神様はすばらしい」と見てもらえるとしたら、本当にうれしいことではないでしょうか。私たちの賜物をささげて、神様の栄光が表わされることを求めていきたいと思います。

神様は、私たち一人ひとりに、それぞれに異なる賜物を豊かに与えてくださっています。自分に与えられている賜物は何か、祈りながら確認していきたいと思います。そして、その豊かな賜物を生かし、惜しみなく用いて、お互いに仕え合ってまいりましょう。