主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

ヨハネの福音書21:20-25 「あなたは、わたしに従いなさい」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「わたしが来るときまで彼が生きるように、わたしが望んだとしても、あなたに何の関わりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」(ヨハネの福音書21:22)

【礼拝メッセージ要旨】

ペテロにはもう一つ、取り扱われなければならないことがありました。今日はこのところから、「イエスの弟子としての再出発」という点に目を留めて見ていきたいと思います。

1)「この人はどうなのですか」
ペテロは、イエスの取り扱いを受けて赦しを確信し、使命を授けられましたが、彼にはもう一つ取り扱われなければならないことが残っていました。それは「人と比べる」ということでした。あの最後の晩餐の席で、ペテロを始め弟子たちは「自分たちのうちで誰が一番偉いか」と議論していました。そのように、弟子たちは皆、偉くなりたい、上に立ちたいと願っていたようです。人と比べて、自分を上の立場に置くことによって安心を得ようとしていました。この時も、そんな弱さが出てきたようです。「主よ、この人はどうなのですか」ペテロはヨハネの姿を見た時に、とっさにイエスに尋ねました。イエスはペテロに、彼が将来捕らえられ殉教することになると暗に告げていました。彼は、それではこのヨハネはどうなのだろうかと気になったようです。自分とヨハネを「比べ」ました。ペテロとヨハネは、イエスに特に用いられた弟子たちです。彼らの間にライバル意識のようなものがあったかもしれません。ペテロは年長者の立場でもあったことから、ヨハネよりは自分の方が上だと見ていたのではないでしょうか。

2)人と比べることについて
人は誰でも、つい自分を人と比べてしまうものです。例えば、自分に関係したランキングを見て一喜一憂する、ということもあるでしょう。人と比べることは必ずしも悪いことではないと思います。比較することで自分の姿を客観的に見て、向上心が高められることもあるでしょう。足りなければもっとがんばろうと思って努力をします。そういう意味では、プラスに働く良い面もあると思います。健全な意味での「競争」はあっていいと思います。

 一方で、比べることには「良くない」面もあります。人と比較することで自分の方が上だと「優越感」に浸って人を下に見たり、逆に自分はダメだと「劣等感」を抱いて落ち込んだりすることもあるかもしれません。それがエスカレートすると、「ねたましく」思ったり、批判したり、人の足を引っ張るようなことも起こります。使徒パウロは、パウロを批判する人たちに対して、互いに比較し合うことは「愚かなこと」だと語っています(コリントⅡ10:12)。また、「主に推薦される人こそ本物です」(同10:18)と言っています。人が評価するのではなく、神こそが正しく評価されると確信していました。

3)「あなたは、わたしに従いなさい」
ペテロが「主よ、この人はどうなのですか」と尋ねたことに対して、イエスはこのように答えられました。「~わたしが望んだとしても、あなたに何の関わりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」(22) たとえもしヨハネが生きるようにイエスが望んだとしても、それはペテロには関係のないことだと言われました。ヨハネにはヨハネの生き方があり、あなたにはあなたにふさわしい生き方がある、というのです。そして、「あなたは、わたしに従いなさい」と言われました。人と比べることなく、イエスに従って自分の行くべき道を行く、ということです。

このイエスの言葉は、私たちにもそのまま告げられているように思います。イエス様は私たちのすべてをご存知です。そして、私たちのことを誰よりも心配し、愛してくださっています。そのお方が「あなたは、わたしに従いなさい」と命じておられます。イエスに信頼して、自分に備えられた、自分の行くべき道を自分らしくまっすぐに歩んで行くことです。そこに本当の喜びの人生があるのです。

その後ペテロとヨハネは、エルサレム教会の中心メンバーとして精力的に神に仕えました。ペテロはローマ皇帝ネロの迫害により殉教しますが、ヨハネは長く生きて新約の書となるいくつかの書を遺しました。それぞれにイエスに従い、異なる人生を歩みましたが、それぞれに神に用いられて神の栄光を現したのです。

4)神は比べることはなさらない
最後に、神は私たちをどのように見ておられるかということを考えてみたいと思います。弟子たちは、人の評価を気にしてお互いに比べ合っていました。しかし神は、決して私たちを比べるようなことはなさいません。それは、イエスが12弟子を扱われたお姿によく現されています。イエスはあのユダの前に跪いて、その足を洗われました。神は、私たち一人ひとりを「高価で尊い存在」、「かけがえのない大切な存在」として見ておられます。なぜならば、神が私たち一人ひとりを愛によってお造りになったからです。一人ひとりが神によって造られた「神の作品」であり、「とても良いもの」として造られました。私たちはそれほどまでに愛されて、地上に生を受け、今生かされているのです。このことが本当に分かるならば、人のことはあまり気にならなくなるのではないでしょうか。人と比べて一喜一憂する必要はなくなると思います。ただ神に愛さている者として、私たちの羊飼いであるイエス様に従い、人はどうあれ、自分らしく人生を歩んでいいのです。

ペテロは、「あなたは、わたしに従いなさい」というイエスの言葉に応えて、イエスの弟子として新たな出発をしました。今度こそイエスに信頼して、口先だけではない、ぶれない人生を歩み続けました。私たちはどうでしょう。イエス様は、私たちにも「あなたは、あなたらしく、わたしに従いなさい」と呼びかけておられます。この言葉にどのように応えることが出来るでしょうか。神様との関係の中で、自分の行くべき道をしっかりと見極めて、自分らしく歩み続けてまいりましょう。