主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

ヨハネの福音書21:15-19 「わたしの羊を飼いなさい」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。」(ヨハネの手紙第一1:9)

【礼拝メッセージ要旨】

今日の個所には、イエスがペテロを個人的に取り扱われた出来事が描かれています。今日はこのところから、「赦しと召しの再確認」という点に目を留めたいと思います。

1)「この人たちが愛する以上に、わたしを愛していますか」
食事が済んだ時、イエスはペテロに声を掛けられました。「あなたは、この人たちが愛する以上に、わたしを愛していますか。」(15)「わたしを愛していますか」というのは、ペテロがイエスを知らないと否定してしまったことを受けてのことでしょう。イエスはペテロの心の思いをすべてご存知でした。その上でイエスは、ペテロが直接自分の口でイエスへの愛を告白することを求められたのです。ペテロが赦しの確信を得ることが出来るようにと、イエス様の方からそのチャンスを与えてくださいました。
ここでイエスは、「この人たちが愛する以上に」とも言っています。あの最後の晩餐の席で、彼はこう語っていました。「たとえ皆がつまずいても、私はつまずきません」(マルコ14:29)他の弟子たちと比べて自分は大丈夫だと豪語していましたが、あっけなく破られてしまいました。「この人たちが愛する以上に」とは、「たとえ皆がつまずいても」に対応しています。彼の失敗を「上書き」するかのように、イエスは彼に赦しを与えようとされたのです。ここにもイエス様の深い憐れみと愛が表わされています。

2)「私があなたを愛していることは、あなたがご存知です」
この問い掛けに対して、ペテロはこのように答えました。「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存知です」(15)回りくどいような答え方です。ストレートに「はい、私はあなたを愛しています」とは言えませんでした。ここにペテロの打ち砕かれた心と、謙虚さが現れているように思います。自分が今、ウソ偽りのない心でイエスを愛していることをイエスは分かっておられると信じて、このように答えたのではないでしょうか。ペテロの真実な、精一杯の答えであったと思います。彼の罪の告白と悔い改め、そしてイエスへの信頼が、この言葉に現わされていると思います。

3)「わたしの子羊を飼いなさい」
これに対してイエスはこう答えられました。「わたしの子羊を飼いなさい」(15)「子羊」とは、イエスに従う人々、つまり教会のことを示しています。「羊」は、当時の人々にはとても身近な生き物でした。羊は臆病で、弱い生き物です。羊には「羊飼い」が必要です。聖書は、私たち人間を、そんな弱い羊に例えています。イエスはペテロに、羊の群れである教会を導く「羊飼い」になるようにと、使命を与えられたのです。あれほど大きな失敗をしたペテロですが、イエスはそのペテロを特に大切な働きのために用いようとされました。どうしてペテロだったのでしょうか。それは、彼が自分の弱さを知っていたからです。あの失敗を通して自分の弱さを思い知らされ、徹底的に打ち砕かれました。その時彼は、自分の力により頼む者からキリストにより頼む者へと変えられていったのです。そのように神は、自信満々の人ではなくて、自分の弱さを知っている人(弱い者)をご自身の働きのために用いてくださいます。「ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」(コリントⅡ12:9) こう語ったパウロ自身も、自分の弱さを知っている人でした。自分の弱さを自覚できることは神の恵みです。私たちも「自分の弱さを知る者」であり続けたいと思います。

4)「心を痛めて」
イエスはこの問い掛けを全部で三度、繰り返します。その時ペテロは「心を痛めて」いました(17)。自分がイエス様を三度否定したことが思い出されたからです。しかし、彼が三度答えたことによって、イエスの赦しを実感することができたのではないでしょうか。ペテロがイエスを否んだ言葉が一つ一つ「帳消しに」されていったのです。十字架ですべての人の罪の贖いを成し遂げ、死からよみがえられたイエス様は、ペテロの罪を完全に赦されました。私たちが神の前に正直に罪を告白するならば、イエス様が十字架で流された血潮によって私たちの罪を完全にきよめてくださいます(ヨハネⅠ1:9)。「たとえ、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。」(イザヤ1:18) 罪が帳消しにされて、真っ新にされるというのです。「罪が帳消しにされる」とは、神が「あなたの罪をもう思い起こすことはない」(ヘブル10:17)と言ってくださることです。これが、キリストの十字架によって私たちにもたらされた罪の赦しなのです。

5)「わたしに従いなさい」
イエスは、この後ペテロがどんな人生を歩むことになるのか予告されました(18,19)。それは、彼がイエスの弟子として生きることによって、将来捕らえられ投獄される、ということを意味していました。その上でイエスは、「わたしに従いなさい」と命じました。その後ペテロはイエスに従い、イエスから与えられた使命をしっかりと果たしていきました。エルサレム教会の中心的リーダーとして教会を建て上げていったのです。その最後は、イエスが予告された通りに、殉教の死を遂げたとも伝えられています。

 イエスは私たちにも、「あなたは私を愛していますか」と問い掛けておられます。この問い掛けに、どのように答えることができるでしょうか。また「わたしに従いなさい」と命じておられます。私たち一人一人にそれぞれの使命が与えられています。今置かれているところで、どのようにイエス様に仕えていけるでしょうか。こうしたことをぜひ祈りながら、確認していきたいと思います。そして、イエス様を愛し、どこまでもお従いしてまいりましょう。