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ヨハネの福音書21:1-14 「思い出のガリラヤで」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」」(マタイの福音書11:28)

【礼拝メッセージ要旨】

今日から3回に渡って、ヨハネの福音書21章から、弟子たちに対するイエスのお取り扱いと、彼らがどのように変えられていったかを見ていきます。今日は14節までのところから、弟子たちの「いやしと回復」という点に目を留めたいと思います。

1)失意の弟子たち
その後イエスは、ティベリア湖(ガリラヤ湖)で弟子たちに再び現れます。そこはかつて、イエスが弟子たちと一緒に過ごした思い出の場所でもありました。この時弟子たちはなぜここにていて、どんな心境でいたのでしょうか。ガリラヤは彼らの生まれ故郷です。そのガリラヤへ、あのエルサレムを離れて帰って来ていたというのです。エルサレムのユダヤ人たちを恐れて、そこから逃れるようにして故郷に戻っていたのではないでしょうか。彼らの中にはイエスに対する「うしろめたさ」や「申し訳なさ」、「気まずさや恐れ」もあったでしょう。イエスの弟子としての情熱も失っていたのかもしれません。彼らはいまだに失意の中にあり、立ち直れないでいたようです。

2)大漁の奇跡
この時、ペテロが漁をするために小舟を出しました。他の弟子たちも一緒になって夜通し漁をします。しかし、その夜は何も捕れません。明け方近くになって、岸辺に人が立っているのが見えました。それはイエスでしたが、彼らにはイエスであることが分かりませんでした。イエスは彼らに船の右側に網を打つように告げ、言われた通りにもう一度網を打つと、何と大漁の魚が捕れました。これと全く同じような光景が以前にもありました(ルカ5:4~11)。彼らはこの出来事を思い出したはずです。それに気づいたヨハネがペテロに「主だ」と告げると、彼はとっさにみずうみに飛び込んで、イエスのもとへと向かいました。彼の心の中には自責の念のような思いがあったのではないでしょうか。ところが、イエスの方から再び現れてくださったのです。

3)朝食でもてなすイエス
彼らが捕れた魚を引いて陸に上がると、そこには炭火が起こされていて、魚とパンが用意されていました。「さあ、朝の食事をしない」(12)彼らは夜通し寝ないで漁をして、疲れ果てていたはずです。体も冷え切っていたでしょう。それ以上に、彼らの心は暗く沈んでいたと思います。そんな彼らを、イエスは朝食でもてなしたのです。「まずこれを食べて、暖まって、元気を出しなさい」そのように言われているように思います。イエス様の深いあわれみと愛を感じます。弱く、情けない弟子たちを叱咤激励するようなことはしませんでした。それどころか、暖を取らせて、休息と食事を取るようにと勧めたのです。「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)このみことばが思い起こされます。イエス様は、いつもこのように語りかけておられます。
またイエスは、「パンと魚」を彼らに分け与えました。この場面も、彼らにとっては懐かしい光景であったはずです。五千人の給食の奇跡や、最後の晩餐の席でイエスがパンを裂いて彼らに分け与えられたことも思い起こしたでしょう。彼らはイエスと一緒に食事をし、イエス様がこれまでいてくださった時と同じように、今自分たちと一緒にいてくださる、ということを実感することができたのではないでしょうか。イエス様の愛とあわれみが、本当に身に染みたと思います。

4)いやしと回復
このようにイエスは、ガリラヤ湖で失意の中にあった弟子たちに姿を現されました。それは、イエスが前もって約束しておられたことでした。このことには大きな意味があったと思います。なぜ「ガリラヤ」で会う必要があったのでしょうか。最後にこのことを考えてみたいと思います。
まず、弟子たちにとって、ガリラヤ湖は「イエスに出会った場所」でした。彼らはそこでイエスに出会い、イエスの招きを受けて従ったのです。言わば、彼らにとってガリラヤは「信仰の原点(出発点)」であったと言えます。彼らが立ち直れないでいたこの時、イエスは再びこのところで彼らに出会ってくださったのです。また、ガリラヤ湖はイエスと生活を共にした「思い出の場所」でした。そこで約3年に渡って、弟子としての訓練を受けました。
その「思い出のガリラヤ」で、イエスはかつて彼らが経験したことを思い出させてくださいました。そして何よりも、彼らはイエスの愛にあふれたもてなしを受けました。こうして、信仰の原点に立ち戻って、またイエスの取り扱いを受けて、彼らはかつての自分たちの姿を今一度思い起こすことができたのではないでしょうか。あの時の驚きと喜び、そして感動が、彼らの心に蘇ってきたと思います。そうして、彼らの心は少しずつ癒されて、回復されていきました。

5)私たちにとっての「ガリラヤ」
私たちにとっても、「信仰の原点」である「ガリラヤ」と言えるものがあると思います。私たちがイエス様に出会った時の喜びや感動、そしてイエス様についていきますと決心した時の思いは、間違いのない、確かなものであったと思います。あの時の感動、喜び、感謝を忘れてはいないでしょうか。今も新鮮に、心に焼き付いているでしょうか。この私たちの信仰の原点を、いつも思い出せるようにしていたいと思います。

イエス様は、私たちが疲れ果てて気落ちしているような時、失意の中にある時、「あなたのガリラヤを思い起こしなさい」と語り掛けてくださっているように思います。そして、私たちをいやし、力づけてくださいます。この大きな恵みを覚えて、イエス様と共に歩んでまいりましょう。