主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

ルカの福音書23:32-43 「十字架の救い」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」(ルカの福音書23:43)

【礼拝メッセージ要旨】

今日は、十字架につけられたイエスと、イエスの両脇にいた二人の犯罪人の姿に目を留めたいと思います。

1)逮捕~不当な裁判
イエスはゲツセマネの園でみこころにゆだねる祈りをささげ、十字架に向かう決心をされました。その時、ユダに率いられた群衆がやって来て、イエスは捕らえられ、ユダヤ人とローマ総督ピラトによる裁判を受けることになります。夜半過ぎから早朝にかけて、大祭司の家でユダヤ人指導者たちによる取り調べと裁判が3回開かれました。そして、彼らはイエスを死刑にするためにピラトのもとに連れて行って訴え出ます。ピラトはイエスを取り調べますが、イエスには死刑に値するような罪は見つかりません。「この人には死に値する罪は認められない。懲らしめたうえで彼を釈放する。」ピラトはこの判決を三度宣言します。しかし、ユダヤ人の民衆はこの判決を受け入れられず、「十字架だ。十字架につけろ!」と叫び続けました。そしてついにその声に押し切られるように、ピラトは彼らの要求通りイエスを十字架に引き渡してしまいます。彼は自己保身のために正しいさばきを曲げたのです。罪のないイエスが、人の手によって十字架につけられることになりました。ここに描かれているピラトや民衆の姿は、私たちの姿でもあると言えるのではないでしょうか。

2)十字上のイエス
そのあとイエスは、自分がつけられることになる十字架を負わされて、処刑場となるゴルゴダの丘まで引かれて行きました。そして、ゴルゴタの丘に3本の十字架が立てられます。今日の箇所には、十字架につけられたイエスと二人の犯罪人の姿が描かれています。彼らの姿に目を留めてみたいと思います。まず、イエスの姿です。「父よ。彼らをお赦しください。」自分を十字架につけたユダヤ人たちやピラト、そして自分を見捨てて逃げた弟子たちのためにも、イエスは赦しを請い願いました。この祈りは私たちに対する祈りでもあると思います。このことを覚えて、私たちもこのように祈れる者となりたいと思います。

3)二人の犯罪人
次に、二人の犯罪人の姿に目を向けたいと思います。この時、なぜ3本の十字架だったのでしょう。それは、この二人の十字架刑の場にイエスが来てくださった、ということではないでしょうか。彼らは自分たちの犯した罪のために、死刑執行される時を待っていました。私たちも、本来、罪のゆえに(造り主である神様から離れてしまっているために)、神の裁きを受けるべきものであると聖書は語っています。その姿は、羊飼いのもとから迷い出てさ迷っている「羊」にも例えられています。羊は、羊飼いのもとを離れたら生きてはいけないのです。しかし、自力で戻ることはできません。そんな私たちのところにイエス様が来てくださいました。私たちの罪を代わりに負って、神の裁きを受けるためにです。この二人の犯罪人の姿は、そんな私たち人間の姿を映し出しているように思います。彼らは十字架につけられて、隣にイエスを見ました。そして、それぞれに違う反応をしました。

一人は、イエスをののしりました(39)。彼には、イエスがあわれな犯罪人としか思えなかったようです。今も、世の中の多くの人々は、彼と同じようにイエスを見ているのかもしれません。確かに良いことをした人のようだけれども、結局は十字架にはりつけにされて、死んで終わった人。遠い昔の話。自分にとっては関係のないこと。信じたところで自分には何のメリットもない。そんなふうに受け止めている人は少なくないと思います。かつての私もそうでした。そんな私が30歳の時にイエスに出会い、イエスを心にお迎えして、今は牧師として仕えています。本当に不思議な気がします。

4)十字架の救い

もう一人の方は、異なる反応をしました。隣で十字架につけられているイエスが一切抵抗せず、彼らの赦しを求めて祈っている姿を見て、このお方は本当に救い主キリストなのではないかと気づかされていきました。そして、このお方は今、罪人である私のために一緒に十字架で苦しんでおられるのだと受け止めたのです。イエスの十字架が、自分のこととして迫ってきました。そして、イエスを自分の救い主として信じました。「あなたが御国に入れられるときには、私を思い出してください。」(42)せめて思い出してもらえるだけでも、と控えめに願ったようです。
その言葉に答えてイエスはこう言われました。「あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」「今日」ということは、「今、この時に」ということです。「やがていつか」ではありません。わたしを信じた今この時に、あなたはわたしとともにいる、と言われたのです。彼はこの時、イエスにつながりました。息を引き取る間際に、イエスを信じて、永遠のいのちを受けることができました。この十字架による救いの約束は、すべての人に与えられています。

イエス様につながることは、本当に素晴らしいことです。天の神様は、一人でも多くの人がイエスの十字架の救いを信じて、造り主である神のもとに立ち返ることを願っておられます。そこに、本当の幸せがあるのです。私たちの罪のために、イエス様が十字架で命をささげてくださったことを覚えて、心からの感謝をおささげしましょう。