主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

ヨハネの手紙第一4:7-12 「ここに愛がある」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた、互いに愛し合うべきです。」(ヨハネの手紙第一4:11)

【礼拝メッセージ要旨】

ヨハネは、4章全体にかけて「愛」ということについてさらに深く語っています。今日はこのところから、「本当の愛」とはどのようなものであるのか、特に3つの点に目を留めて学びたいと思います。

1)愛は神から出ている
まず一つ目のことは、「愛は神から出ている」ということです。「愛は神から出ているのです」(7) ここに、私たちが互いに愛し合うべき理由が述べられています。「愛」の源は神にある、というのです。愛は私たちの中から出ているのではないかと思われるかもしれません。しかし、人の愛はどこか「見返り」を求める愛となってはいないでしょうか。たとえ見返りがなくても、愛を与え続けることが出来たら、それは「本物の愛」と言えます。自分の意思や努力によって人を愛することには限界があります。期待に応えてくれない相手に対して、やがて不満やうっぷんをぶつけてしまうこともあるでしょう。「これだけしてあげているのに」と、心のどこかで「見返り」を求めているからです。それでも、私たちは愛し合うことができるのだと、ヨハネは語っているように思います。なぜならば、本当の愛を神様から受けているからです。車がガソリンを給油して走り続けることが出来るように、私たちも、神様の愛で満たしていただいてこそ、人に愛を与えることが出来るのではないでしょうか。その神様の愛を受けていることを常に確認していないと、人に愛を与えることが難しくなってくるでしょう。「愛がある者(愛し続ける者)はみな神から生まれ、神を知っています。」(7) 神を知っているからこそ愛し続けることが出来る、というのです。なぜならば、「神は愛」だからです。神は愛そのものなのです。

2)神の愛
では、その「神の愛」とはどのような愛でしょうか。次に2つ目のこととして、「神の愛」について見ていきたいと思います。9,10節に「神の愛」がよく言い表されています。父なる神様は、そのひとり子イエス・キリストを世に遣わしてくださいました(クリスマスの出来事)。そしてイエス様は、すべての人の罪をその身に負って十字架でいのちをささげてくださいました(十字架の出来事)。父なる神様は、私たちの代わりに御子イエスを罰することによって私たちの罪の清算をしてくださったのです。私たちには考えられないようなことです。この神の救いの恵みを信じて心に受け入れる者に、神は「罪の赦し」と「永遠のいのち」を与えてくださいます。これが、全能の神様が私たちのためにしてくださった「救いのみわざ」です。「ここに愛があるのです」(10) 神は、これほどまでに私たちのことを愛してくださいました。このことを、自分のこととして本当に分かっていると言えるでしょうか。実は、どれほども分かっていないのかもしれません。だからこそ、愛せなくなってしまうのではないでしょうか。

3)私たちも愛する者となる
では、これほどの愛を受けた者として、私たちはどうすればいいのでしょうか。3つ目のこととして、「私たちも愛する者となる」ということについて目を留めたいと思います。「私たちもまた、互いに愛し合うべきです」(11) ヨハネはこのことを繰り返し呼び掛けています。私たちは不完全な者ですが、互いに愛し合うことを通して神の愛が表わされていく、というのです(12)。家庭の中に、教会の中に、職場の中に、神様の愛が表わされていくとしたら、どんなにかすばらしいことでしょう。しかし現実には、難しさもあります。私たちが「愛する者」(愛し続ける者)となるために、どうすればいいのでしょう。そのために具体的に心掛けたいことを、イエス様の姿から3点ほど挙げてみたいと思います。

①一つは、「相手の態度によらず」愛を示すことです。イエスが捕らえられた時、弟子たちは怖くなってイエスを見捨てて逃げてしまいました。それでもイエスは、弟子たちを見捨てることなくどこまでも愛を示されました(ペテロの取り扱いなど)。そのように私たちも、人がどのような態度を示そうとも愛を示していきたいと思います。その人のために祈りながら、愛の配慮をもって関わっていければいいのではないでしょうか。

②二つ目のことは、「自分の感情によらずに」愛を示すことです。イエス様にも感情はありました。ゲツセマネの園で、十字架の上で、イエス様は苦しみながら祈りをささげました。それでも御父の御心に従われました。私たちを愛しておられたからです。私たちも、自分の感情によらずに、どんな時でも愛を表わしていけたらいいなあ、と思います。もちろん、私たちはイエス様と完全に同じようにではできませんが、少しでもイエス様の姿にならうものとなりたいと思います。

③そして三つ目のことは、「相手に見返りを求めることなく」愛を示すことです。私たちは、どうしても見返りを期待してしまいます。しかしイエス様は一切見返りを求めませんでした。弟子たちに裏切られても、無実の罪で十字架に付けられても、彼らを恨むことなく、むしろ彼らの赦しを父なる神様に祈られたのです。イエス様は、「一方的に与える愛」を示されました。それは、「見返りを求めない、無償の愛」(アガペーの愛)です。私たちも、このアガペーの愛をイエス様から受けています。これだけの愛を受けている者として、私たちも見返りを求めない愛を少しでも示していきたいと思います。

 これらのことを実践するために、「神を知る」(7)ことが大切です。神と個人的に交わり、神を感じ、体験すること(体験的に神を知ること)です。そのためにも、毎日聖書を開いてみことばに聞き、祈ることを自分にとって大切な習慣としたいと思います。そうすると、神様の愛がもっとよく分かってきます。感謝と喜びがあふれてくるはずです。そして、その受けた愛を、人に与える者(愛し続ける者)となりたいと思います。