主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

ヨハネの手紙第一3:11-18 「互いに愛し合う」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「子どもたち。私たちは、ことばや口先だけではなく、行いと真実をもって愛しましょう。」(ヨハネの手紙第一3:18)

【礼拝メッセージ要旨】

今日の個所でヨハネは、「互いに愛し合う」ことについて熱く語っています。神の子どもとされた者として、「互いに愛し合うべき」だというのです。「互いに愛し合う」とは、どういうことなのでしょうか。

1)兄弟愛について
「互いに愛し合う」ことは、あなたがたが初めから聞いている「使信」であるとヨハネは告げています(11)。イエスは最後の晩餐の席で、弟子たちに「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」と命じました。 それでも教会の中には、互いに愛し合うことの難しさがあったようです。ヨハネはこの手紙の中で、「兄弟愛」の大切さを語っています。クリスチャン同士互いに愛し合いなさい、と命じています。キリストの大きな愛を受けた者同士が愛し合うことを実践できなければ、他の人を愛することはもっと難しくなるのではないでしょうか。クリスチャン同士の交わりは、関係が近すぎる故に難しさを覚えることもあるかもしれません。意見が対立して、一致できないことがあったり、どうしても分かり合えないこともあると思います。「クリスチャンはこうあるべきだ」と、そうできない人をついさばいてしまう、ということもあるかもしれません。そんな時、私たちは試され、本当に祈らされます。そういう意味で、教会はキリストの愛を実践することを試され、祈りながら実践していく場、とも言えると思います。

2)憎まないこと
では、「互いに愛し合う」とはどういうことなのでしょうか。今日の個所でヨハネは、具体的に2つのことを教えています。一つは「相手を憎まない」ということです。「兄弟を憎む者はみな、人殺しです」(15) 心の中で人を憎むことは、その人を殺すのと同じなのだというのです。兄カインは、自分のささげものが神に受けられなかったことで、弟のアベルを逆恨みし、殺してしまいました(創世記4章)。妬みが憎しみとなり、憎しみが殺意へと変わっていったのです。そのカインのようになってはいけない、と言っています。カインの姿は私たちの姿でもあると思います。もし妬みや憎しみの感情があることに気づいたならば、神の前に正直に告白して、その感情から解放されるように祈り求めたいと思います。また、少しでも相手の立場に立って考えることが出来れば、解決の道が開かれていくのではないでしょうか。たとえ納得できなくても、考え方に「違いがある」ということを受け止めることができれば、憎しみの感情からは解放されると思います。

3)与えること
もう一つのことは「与える」ということです。「キリストは私たちのために、ご自分のいのちを捨ててくださいました。」(16) 父なる神様は、私たちに大切なひとり子を「与えて」くださいました。このことによって、私たちは本当の愛を知ることができました。そのように、私たちも兄弟のために「いのちを捨てるべき」だと、ヨハネは勧めています。それは、「自分の大切なものを与える」ということを教えているのではないでしょうか。互いに愛し合うことは、「与える」ことでもあるということです。具体的に、自分の財をもって経済的に困っている兄弟を助けることが勧められています(17)。自分の時間をささげることもそうですし、心をその人に向けることも「与える」ということになります。その人のことを気にかけて、祈りに覚えていくことです。祈ることは、私たちにできる最も大きな「与える」ことと言えるのではないでしょうか。たとえ今、関係がこじれている人、疎遠になっている人であっても、その人のことを覚えて祈り続けていきたいと思います。そして自分にできることがあれば、必要な手を差し伸べることを心掛けたいと思います。

4)行いと真実をもって
では、愛を実践するために、私たちはどのようなことを心掛ければいいのでしょうか。「ことばや口先だけではなく、行いと真実をもって愛しましょう」(18) まず大切なことは、「行い」をもって愛することです。「行動の伴う愛」となっているか、ということです。祈って、自分はこうしようと心に決めたことがあれば、それを実行に移すことです。口先だけでなく、愛を実際の行動で表していきたいと思います。

もう一つ大事なことは、「真実」をもって愛することです。本当にその人のことを思いやって愛しているか、ということです。例えば、義務的な思いや心のどこかに見返りを求める思いがあるとしたら、それは真実とは言えないと思います。たとえ相手から感謝のことばが返ってこなかったとしても、神様にゆだねて手放すことができればいいのではないでしょうか。神様はすべて覚えておられます。

それからもう一つ、愛のわざを行う上で気をつけたいと思うことがあります。それは、「お仕着せの愛」となっていないか、ということです。自分がよかれと思って行うことであっても、それが必ずしも相手の人にとって必要なこととは限りません。また、自分のなすことで、相手の自立を妨げることになったり、人に依存させてしまうこともあるかもしれません。経済的に困っている人に援助することも、よく考えて慎重に判断しなければならないと思います。援助することがその人にとって本当に必要なことなのか、何が必要なのか、祈りながら見極めたいと思います。それも、「愛」と言えるのではないでしょうか。

キリストの愛を受け、神の子どもとされた者として、私たちはお互いを大切にし、愛し合うことが求められています。それは、イエス様が私たちに命じておられることです。愛することは「憎まない」ことであり、「与える」ことでもあります。お互いのことを思いやり、「行いと真実をもって愛し合う」ことを心から実践してまいりましょう。