主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

ヨハネの手紙第一2:18-29 「惑わされないように」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「さあ、子どもたち、キリストのうちにとどまりなさい。そうすれば、キリストが現れるとき、私たちは確信を持つことができ、来臨のときに御前で恥じることはありません。」(ヨハネの手紙第一2:28)

【礼拝メッセージ要旨】

今日の個所でヨハネは、「惑わす者たちに惑わされないように」と警告しています。それはどういうことなのでしょうか。

1)「終わりの時」とは?
「今は終わりの時です」(18) ちょっと、ドキッとするようなことです。こう聞くと、「世の終わりが近づいているのかしら?」とか、心配になってくるかもしれません。確かに聖書には、「終わりの時」あるいは「終わりの日」に関することが記されています。「終わりの時」とは、「罪が支配する悪の世が終焉に向かいつつある時」と言えます。罪が支配する世が滅ぼされて、この世界が新しくされる時が来ると聖書は約束しています(黙示録20,21章など)。その「終わりの日」に向かっている時(時代)、それが「終わりの時」です。それはキリストが人となって最初に来られた時からすでに始まっているというのです。

2)惑わす者「反キリスト」が現れる
「反キリストが来ると~今が終わりの時であると分かります。」(18) イエスがキリストであることを否定する人たちのことを「反キリスト」と言っています(22)。「終わりの時」にはそうした「反キリスト」が現れるというのです。マタイ24章には、イエスが「終わりの時」に起こることとして話されたことが詳しく描かれています。その時、「イエスの名を名乗る者が大勢現れ」、「私こそキリストだ」と言って多くの人々を惑わします(5)。実際、これまでもそういう人たちが何人も世に現れました。また、「戦争」が起こり、「飢饉」と「地震」が起こるとあります。確かに、ここに書いてある「前兆」がその通り起こっているようにも思えます。
そのように、終わりの時には多くの反キリストが現れて、人々を惑わすようになると言っています。「だから、惑わされないように気をつけなさい」と、ヨハネは警告しています。今も「反キリスト」は、様々な形で私たちを神から引き離そうとして「惑わし」を仕掛けてきます。例えば、インターネットやメディアを通して、正しくない情報や偏った主義主張や思想が入ってくることがあります。そうした「人の言葉」や「自分の内なる声」に惑わされないことです。キリストの再臨に関しても、それがいつになるかは誰にも知らされてはいません。神だけがご存じのことです。
そのような「惑わし」に対して、イエス様は「心を騒がせないで」、その日がいつ来てもいいように「目を覚ましていなさい」(マタイ24:42)と言っておられます。それは、人の言葉に惑わされることなく、イエスに信頼しながら今自分のなすべきこと(普段の生活)に誠実に精一杯取り組んでいく、ということではないでしょうか。

3)惑わされないために
それでは、私たちがそうした「反キリスト」に惑わされないためにどうすればいいのでしょうか。その秘訣として3つのことを確認したいと思います。

①一つ目のことは、「みことばを自分のうちにとどまらせる」ことです。「初めから聞いていることを自分のうちにとどまらせなさい」(24) 「初めから聞いていること」とは、イエスの教え、つまり「みことば」のことです。そのみことばを自分のうちに「とどまらせる」ことです。それは、イエスの十字架に現わされた神の愛をしっかりと受け止めて、その確信をしっかりと持ち続けていることです。ここに、私たちに与えられている永遠のいのちの根拠があるのです(25)。

②二つ目のことは、「聖霊がとどまっていることを信じる」ことです。「御子から受けた注ぎの油」(27)とは、聖霊のことを意味しています。イエスが天に昇られてから、イエスを信じる者には聖霊が与えられるようになりました。聖霊は「もう一人の助け主」とも呼ばれます。イエスに代わって私たちの内に住んでくださり、イエスの言葉を思い起こさせ、弱い私たちを助け導いてくださいます。この共にいてくださる聖霊様に信頼し、その御声に聞いていかなければなりません。そうすれば、人の言葉や自分の声にも惑わされることはないのではないでしょうか。

③そして、三つ目のことは、「キリストにとどまる」ことです。「キリストのうちにとどまりなさい」(28)と、ヨハネは命じています。「キリストのうちにとどまる」とは、「キリストにつながっていることを常に確認していくこと」と言えると思います。イエスを信じる時に、私たちは神との関係(交わり)に入れられます。まさに「つながる」のです。私たちはイエスを信じた時に、神とつながって「いのち」を与えられました。それは、神が与えてくださる霊的な力であり、永遠に続いていく「いのち」と言えます。神につながることで、生きる力や励ましや慰めを受けて、困難の中でも喜びと希望をもって人生を歩む者とされていくのです。
それは、人とのつながりよりも大切なことです。人とのつながりがイエスとのつながりよりも大事なものとなってしまうと、失望したり、確信が揺らいでしまうこともあるかもしれません。人は完全ではないからです。しかしイエスは完全で、絶対に揺るがない「岩」のようなお方です。イエスにつながっていれば、揺るがされることはありません。ブドウの枝が木にとどまるように(ヨハネ15章)、いのちの源であるイエス様にとどまり続けましょう。

イエス様は、「わたしにとどまりなさい、わたしの愛にとどまりなさい」と言われました。この言葉をしっかりと心に留めたいと思います。どんな惑わしの声にも惑わされることのないように、みことばを自分のうちにとどまらせ、共にいてくださる聖霊の御声に聞いてまいりましょう。そして、私たちの救いの岩であるイエス様にとどまり続けてまいりたいと思います。