主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

ヨハネの手紙第一2:15-17 「世を愛するとは?」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「あなたは世も世にあるものも、愛してはいけません。もしだれかが世を愛しているなら、その人のうちに御父の愛はありません。」(ヨハネの手紙第一2:15)

【礼拝メッセージ要旨】

今日の個所でヨハネは、「世も世にあるものも愛してはいけません」と命じています。厳しいことを言っているようにも聞こえるかもしれません。「世を愛する」とは、どういうことを言っているのでしょうか。

1)愛の呼びかけ
この手紙の中のところどころに、ヨハネの呼びかけがあります。「私の子どもたち」(1)、「愛する者たち」(7)、「子どもたち」、「父たち」、「若者たち」(12~14)と、この手紙を受け取るであろう一人ひとりに、心を込めて呼び掛けています。「あなたにこのことを伝えたい、届けたい」そんな熱い思いが感じられます。そして、今日の個所の15節では、「あなたは」と二人称で呼び掛けています。より個人的にヨハネの言葉が迫ってきます。もちろん、神の言葉として、時代を越えて私たちの心にも響いてきます。

2)世を愛するとは?
「あなたは世も世にあるものも、愛してはいけません」(15) 「世を愛する」とは、どういうことを言っているのでしょうか。「世を愛する」と聞いて、「神は実にそのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。」(ヨハネ3:16)のみことばが思い起こされますが、この二つのみことばに矛盾はありません。

 ヨハネが愛してはいけないと言っている「世」(コスモス)とは、「罪によって支配された世界、闇の力で覆われた世界」のことを意味しています。最初の人アダムが神に背いた時から人に罪が入り、その結果、この世界も罪に支配されるようになってしまいました。確かに、今の世界を見ると未だに戦争があり、環境破壊が進んでいます。人の欲望によって、地球本来の良さが失われつつあるようにも思います。これが今の「世」の現実です。

 「世にあるもの」として、ヨハネは3つのことを挙げています。①「肉の欲」:これは、人の中にある罪の性質のことを指しています(ガラテヤ5章「肉のわざ」参照)。②「目の欲」:肉の欲は目から入ってくる誘惑によって駆り立てられます(ダビデの例)。③「暮らし向きの自慢」:人には、自分の持っているものを自慢したり、人よりも上に立ちたいという願望があります。こうした欲望は、罪に支配された「世」から出るというのです。「世にあるものを愛する」とは、そうした欲望を刺激し、一時的に心を満たすものを求めて、そこに価値を置くこと(それを頼りにすること)を言っていると思います。それを何よりも大事なものとし、それに心が「囚われて」しまうことです。しかし、それらのものは一時的なものに過ぎません。かつて日本にあった「バブル期」は、「世にあるもの」に人々の心が囚われていた時代と言えるかもしれません。「世と、世の欲は過ぎ去ります」(17)「世にあるもの」はいつまでも続くことはないのです。

3)世とどう付き合えばいいのか?
それでは、私たちはこの「世」と、「世にあるもの」と、どのように付き合えばいいのでしょうか?一昔前は、キリスト教会でも厳しいことが教えられていた時代があったようです。確かに、世の中には人の欲望を刺激するようなものもありますが、「良いもの」もたくさんあります。例えば、「心がほっこりするような映画」や、「明日から頑張ろう」と励まされるようなドラマもあります。心を元気にしてくれる流行歌もいいではありませんか。そうしたものを、「世のものだから」と言って退ける必要はもちろんありません。それらを大いに楽しんでいいと思うのです。ヨハネは、決して禁欲生活を勧めているのではありません。ここでヨハネが「世も世にあるものも愛してはいけません」と言っているのは、そうしたものに心が囚われて、それらの「とりこ」になってしまって、本当に大事なことを見失うことのないように、ということです。「本当に価値あるもの」がある、ということを忘れないように、と言っていると思います。

4)本当に価値あるもの
では、その「本当に価値あるもの」とは、何でしょうか?「もしだれかが世を愛しているのなら、その人のうちに御父の愛はありません。」(15) 「御父の愛」(別訳で「御父を愛する愛」)こそが、私たちが見失ってはいけない最も大切なものであり、本当に価値あるものと言えると思います。それは、イエス・キリストを通して父なる神様につながって、神を愛し、神の愛の中で生きていくことを意味しています。「神のみこころを行うものは永遠に生き続けます」(17) 神の愛は決して消えてなくなることはありません。その関係は永遠に続くものです。ここに、決して消え去ることのない、永遠に価値あるものがあります。この本当に大事なものを見失ってはいけないのです。

5)神は「世」を愛された
「神は実にそのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。」(ヨハネ3:16)最後にこのみことばに目を留めたいと思います。神が愛された「世」とは、罪で支配された世界の中にいる「人々」のことを指しています。神は、罪が覆っている世の中に置かれ、そこで生きている全ての人々を愛されました。弱くて罪深い私たち一人ひとりのことを神はあわれみ、そのままで「愛して」くださったのです。そして、私たちを罪の支配から救い出すために、ひとり子イエス様を遣わしてくださいました。「それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」このイエス様を心に信じ、罪の赦しを受けて、その人が神との関係に入れられて、永遠に生きることを父なる神は願われました。それほどまでに神は私たちのことを愛してくださったのです。この神様の大きな愛を覚えて、心からの感謝をおささげしたいと思います。

 私たちに必要な本当に価値あるもの、永遠に続くものは神の愛です。この大事なことを決して見失うことのないようにしたいと思います。そのためにも、私たちの救い主となられたイエス様を見つめ続けてまいりましょう。