主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

ヨハネの手紙第一2:7-11 「古くて新しい命令」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「自分の兄弟を愛している人は光の中にとどまり、その人のうちにはつまずきがありません。」(ヨハネの手紙第一2:10)

【礼拝メッセージ要旨】

今日の個所でも、「神の命令」に関することについてヨハネは語っています。「古くて新しい命令」とは、どういうことを言っているのでしょうか。

1)古くて新しい命令
ヨハネは、イエスから直接聞いて教えられたことを神の命令としてこの手紙に書き記しています。それは「新しい命令」ではなく、「あなたがたが初めから持っていた古い命令」だというのです。確かにみことばは、時間的には相当古いものと言えます。神のことばは、決して変わることがありません。不変なものです。そういう意味でも、確かに「古い命令」と言えます。
しかしヨハネは、その「古い命令」を「新しい命令」として書いていると言っています。これはどういうことなのでしょうか。神のみことばは、内容的には決して古びたりはしないものです。時代が変わっても、その時代時代の人々の心に新鮮に響いてきます。決して変わることのないみことばが、常に新鮮に生きて働いて人々に救いをもたらすのです。そういう意味で、神のことばは確かに「古くて新しいもの」と言えます。

2)互いに愛しあうこと
では、その「古くて新しい命令」とは、ここでは具体的にどんな命令のことを言っているのでしょうか。9~11節にかけて、「自分の兄弟を憎むこと」と「愛すること」について、光の中を歩むことと関連して繰り返し述べられています。言い換えれば、「互いに愛し合うこと」と言えます。「わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ13:34)このイエスの教えが思い起こされます。ヨハネは、イエスから直接教えられ、ここでさらに具体的に自分のことばで、「互いに愛し合う」とはどういうことなのか語っています。

「自分の兄弟」とは、教会の仲間のことを指しています。みことばに教えられ、キリストの愛でつながっているはずの人たちです。最も近い「隣人」と言えます。それなのに、その自分の兄弟をも「憎んでしまう、愛せない」現実があることを物語っているようです。「憎む」とは、「強い負の感情」です。教会の中にもそうした問題があって、ヨハネは心を痛めていたと思われます。それは今も変わりません。教会は「罪赦された罪人」の集まりでもあるために、どうしても人の弱さが現れてきます。地上には、完璧な「理想の教会」というものはないのかもしれません。それでも、イエスを見上げ、悔い改めながら、乗り越えていくのです。
イエスは、人々や弟子たちに、身をもって「人を愛すること」を教えられました。また、「よきサマリア人のたとえ」を通して、本当の意味で「隣人となる」とはどういうことなのか教えられました。ユダヤ人たちは、子供のころから聞かされてきたはずの「自分自身のようにあなたの隣人を愛しなさい」という神の戒め(レビ19:18)をよく分かったつもりでいましたが、実は分かっていなかったのです。私たちも、「分かったつもりになっている」ということはないでしょうか。「イエス様を愛しています、みことばに従っています」と言いながら、身近にいる隣人を愛せないでいるということはないでしょうか。神様はこのことを通して私たちを試されているのかもしれません。

3)光の中にとどまる
では、私たちが本当の意味で、私たちの隣人を愛することができるようになるためにどうすればいいのでしょうか?今日のところで、一つ大切なことが示されていると思います。それは、「光の中にとどまる」ということです。「闇が消え去り、まことの光がすでに輝いているからです。」(8) 本当に感謝なことに、今私たちには「光」が与えられています。罪の暗闇を照らす光であり、希望を与える光です。それは、イエス・キリスト、イエス様です。この光の中を歩んで行くならば、道に迷うことはありません。「光の中にいると言いながら自分の兄弟を憎んでいる人は、今でもまだ闇の中にいるのです」(9) もし、誰かを憎んでいるとしたら、その人は未だに罪の暗闇の中に囚われていると言っています。「闇が目を見えなく」するからです(11)。闇の中にいると、自分の姿が見えなくなってしまいます。その一方で、「光の中にいる」とは、自分をキリストの光の中に「さらしていく」ことでもあると思います。積極的にイエス様の光の中に自分の身を置いていくことです。光の中に身をさらせば、自分の姿が見えてきます。キリストの光に照らしていただくことで自分の姿に気づかされます。それは、ある意味怖いことであり、認めたくないことかもしれません。それでも、光に照らしていただくことを求めていきたいと思います。そうすれば、自分が何をすべきか、どこに行くべきか分かってくるのではないでしょうか。ここに、解決の道が示されています。

 ヨハネは、イエスが教えられた「互いに愛し合うこと」を、「古くて新しい命令」として改めて書き記しました。この命令は、旧約の時代から与えられていましたが、イエスが来られてより具体的に明確に、その意味が示されました。そういう意味でも「新しい命令」と言えると思います。「人を愛すること」は、それほど私たちにとって大事なことであり、一生涯かけて取り組み続けなければならない大きなチャレンジと言えます。神様は、「互いに愛し合いなさい。イエスが愛されたように。」と、私たちに求めておられます。今一度、このみことばをしっかりと心に留めましょう。
イエスの光を求め、その光の中にとどまり続けて、互いに愛し合う者とされていきたいと思います。