主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

ヨハネの手紙第一1:5-10 「光の中を歩む」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「もし私たちが、神が光の中におられるように、光の中を歩んでいるなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます。」(ヨハネの手紙第一1:7)

【礼拝メッセージ要旨】

序文に続いてこの手紙の本文に入っていきます。今日はこの個所から、「光」ということばをキーワードとして、4つの点からお話ししたいと思います。

1)神は光である
まず一つ目のことは、「神は光である」ということです。「神は光である」(5)とは、どういうことを言っているのでしょうか?行くべき正しい道を示す「道しるべ」、罪汚れの全くない「聖さ」や「希望を与える光」、そんな意味合いもあると思いますが、ここでは特に「闇」との関係で語っているようです。「神には罪汚れが全くない」ということです。闇とは、光に照らされて初めて、そこが闇であることが分かります。光があるからこそ、闇があることに気づけます。神は、この光であるイエス・キリストを私たちに与えてくださいました。イエスは闇を照らし出してくださいます。イエスが来られたことによって、「罪の暗闇」があることが分かるようにされたのです。

2)私たちの中には「闇」がある
次に二つ目のことは、「私たちの中には闇がある」ということです。この箇所でヨハネは、私たちの中にある罪の現実について繰り返し語っています(6,8,10節)。これは、当時「グノーシス」と呼ばれる、間違った教えに影響されていた人たちのことを念頭において言っているようです。彼らは、目に見えない霊はきよいものであり、肉体は悪であるので、悪であるこの見える世界で何をやっても問題はない、と考えて、肉欲のままに生きていたようです。これは、すべての人の中にある「罪の現実」をも表わしています。私たちの現実の姿でもあります。聖書は、「義人はいない、一人もいない」(ローマ3:10)と語っています。私たちの中には、自分ではどうすることもできないような深い闇の部分があるのです。まず、この事実を認めることが私たちにとってとても大切なことです。
とは言っても、実際はなかなか認めたくはないものです。「あなたの目の中に小さなゴミがありますよ」とは言えても、「自分の目の中に大きな梁があることに気づけない」と、イエスは言われました。人の姿は見えても、自分のこととなると、「自分は正しい」「自分は間違っていない」としてしまう、決して自分の間違いを認めようとしない、それどころか自分以外の誰かのせいにしてしまう、私たちはそういう者ではないでしょうか。これが、私たちの中にある「罪の現実」です。

3)神は私たちを光の中に招いてくださった
しかし神は、そんな私たちを放ってはおかれませんでした。罪の暗闇の中にいる私たち人間を、闇から救い出して光の中に招き入れる、ということをしてくださいました。これが三つ目のこと、「神は私たちを光の中に招いてくださった」ということです(7)。本来、光と闇は相容れないものです。完全にきよいお方が、罪汚れを受け入れることは本来できないことです。しかし神は、「御子イエスの血」によって、罪を持つ私たちを受け入れるということをなしてくださいました。神である完全にきよいお方が、人の罪を代わりに全部その身に負って人に代わって償いをする、ということをしてくださったのです。その十字架で流されたイエスの血を、自分の罪のためであったと信じて感謝をもって受け入れる人は、その罪が赦されて、神との交わりの中に入れられるようにされました。イエスの血によって、罪のきよめがなされたからです。
「きよめる」ということばには、「罪のしみや汚れを取り除く」という意味があります。どんなに頑固な罪のシミも、イエスの血によって取り除かれるのです。そして神様は、「あなたには罪はない」としてくださって、神との交わり、光の中に迎え入れてくださいます。あの野宿していた貧しい羊飼いたちも、イエスを迫害していたパウロも、まばゆいばかりの「主の栄光」に照らされて、神の光の中に迎え入れられました。私たちもそのように、人生のある時に、神様の光に照らされて、その光の中に招き入れられたと言えるのではないでしょうか。
神は、本来到底受けられることのない、神のきよさとは相容れない私たちのことを、神のひとり子イエスの血によって受け入れてくださいました。神はそれほどまでに私たちのことを愛しておられるのです。この神様の大きな愛と恵みを覚えて、感謝をおささげしましょう。

4)光の中を歩み続ける
最後に四つ目のことは、「光の中を歩み続ける」ということです。これは、光の中に入れられた私たちに神が願っておられることです(7)。以前の暗闇の生活を捨てて、イエスとともに光の中を一生涯歩み続けることです。簡単なことではありません。人生の中では、様々な試練や誘惑に会うこともあります。それでも、それらを乗り越え、振り払って、まっすぐに光の中を歩んでいきたいと思います。
そのために一つ大切なことがあると、今日の個所で教えています。それは、「自分の罪を認め、告白すること」です(9)。確かに、イエスの血による罪の赦しときよめは完全です。それでも、私たちは罪を犯してしまいます。クリスチャンになっても罪の性質が残されていて、地上に生きている限り罪との戦いがあるのです。私たちは、日々罪を犯す者、失敗する者です。その罪に気付いた時、神に対して正直に自分の罪を認めて、告白する(言い表す)ことが求められています。「その通りです」と神の前に素直に認めて、その罪をキッパリと捨て去ることです。神様は真実なお方であり、約束を守られるお方です。私たちが自分の罪を認め告白する時に、その罪を赦し、私たちをきよめてくださいます。

神は光です。私たちの中には罪の暗闇があります。それでも神は、イエスの十字架の血潮によって、私たちを光の中に迎え入れるその道を開いてくださいました。この大きな愛と恵みを覚えて、イエス様に信頼しながら、イエス様とともに光の中を歩み続けてまいりましょう。