主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

ヨハネの手紙第一1:1-4 「いのちのことば」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「このいのちが現れました。御父とともにあり、私たちに現れたこの永遠のいのちを、私たちは見たので証しして、あなたがたに伝えます。」(ヨハネの手紙第一1:2)

【礼拝メッセージ要旨】

今日からしばらく、ヨハネの手紙第一に学びたいと思います。今日は、この手紙の序文のところに目を留めたいと思います。

1)「ヨハネ」について
この手紙を書いたヨハネは、イエスの12弟子の一人であったヨハネです。彼の兄弟には「ヤコブ」がいました。イエスはこの兄弟たちを、「ボアネルゲ」(雷の子)と呼びました。雷のように短気で気性の荒いところがあったようです。一方で、ヨハネはイエスから最も信頼され、愛された弟子の一人であったようです。彼は十字架の場面にもいて、イエスから母マリアを託されました。その後彼は、教会の中心メンバーとして働き、晩年になってから「ヨハネの福音書」、「ヨハネの手紙第一、第二、第三」、そして「ヨハネの黙示録」を書き記して、聖書の中の書として位置づけられることになります。

2)「ヨハネの手紙第一」の背景について
この手紙が書かれたのは紀元90年頃と考えられています。その頃彼はエペソにいて80歳位にはなっていたようです。当時、福音はローマ帝国内に広まり、迫害もそれほどない比較的穏やかな時代でした。しかし、大きな問題もありました。教会の中に間違った教えを説く人たちが入り込んできて、人々を惑わしていたようです。特に、「グノーシス」と呼ばれるギリシャ思想の影響を受けて、イエスはキリストではないと主張する人たちがいて、悪い影響を与えていました。きよい神が悪である体を持つはずがないと考えて、神が人となられたことを否定したのです。また、どうせ肉体は悪いものだから罪を犯しても問題はないと考えて、道徳的に乱れた生活を容認するような風潮もありました。
そんな時代にあって、ヨハネは、「キリストの生き証人」として、キリストはどういうお方なのかを人々に伝えて、間違った教えに惑わされないように、キリストにある信仰を再確認させる必要を感じたようです。今の時代も、似たような状況にあると言えるかもしれません。様々な情報や価値観に惑わされて、私たちにとって大事なことを見失ってしまうことのないように、気を付けたいと思います。

3)キリストとはどういうお方なのか?
今日は、1~4節の序文のとこから、二つのことについて確認したいと思います。一つは、「キリストとはどういうお方であるのか」ということです。そしてもう一つのことは、「この手紙の目的」です。
まず、1節と2節のところから、「キリストとはどういうお方であるのか」見ていきます。「初めからあったもの」(1)キリストは、永遠のはじめからからおられた神ご自身であったことを意味しています。さらに、そのお方は、ヨハネが「聞いたもの」であり、「自分の目で見たもの」であり、「じっと見つめて」、「自分の手でさわったもの」だと言っています。ヨハネは、イエスというお方がどういうお方か、体験を通してよく分かっていました。

「いのちのことば」(1) 「いのち」とは、神にある「永遠のいのち」のことを指しています。その「永遠のいのち」について語ることばであり、「永遠のいのち」を与えることば、そうした意味が込められているように思います。イエスは人として来られ、人の言葉を通して神について、救いについて教えてくださいました。これが「福音」です。

「このいのちが現れました」(2) 神は、神の御子であるイエス・キリストという、見て体験できるお方を通して、ご自身を私たち人間に現してくださいました。私たちは、人となられた神であるイエスを通して、神のことが分かるようにされたのです。そのイエスは、「永遠のいのち」そのものであり、「永遠のいのち」を与えるお方です。ヨハネは、この「永遠のいのち」を実際に「見た」ので、その方について証しをしてあなたがたに伝えます、と言っています。ここには、「あなた方も、このお方のことを知って、心に受け入れて、「永遠のいのち」を受け取ってほしい」、そんな願いが込められているように思います。これは、そのまま私たちにも語りかけられていることです。

4)この手紙の目的
次に、3節と4節のところから、この手紙が書かれた目的について目を留めたいと思います。「あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。」(3) 「交わり」と訳されたもとのことばである「コイノニア」には、「共有する」とか「分かち合う」という意味があります。クリスチャンは、「キリスト」を共有する者同士と言えます。救い主イエス・キリストを心にお迎えする時に、その人は神様との関係に入れられます。神様との縦の関係です。そして、つながっている者同士、横の関係も築かれていきます。これが、クリスチャンの交わりです。縦のしっかりした関係が土台となって、横の交わりがあるのです。キリストにある交わりとは、単なる人間的な組織とは違います。お互いにイエス様を見上げて、励まし合い、赦し合い、助け合う関係、キリストの愛で結ばれた関係と言えます。

「喜びが満ちあふれるため」(4) これがもう一つの目的です。ヨハネは、キリストのことをまだ知らない多くの人たちが、永遠のいのちそのものであり、そのいのちを与えるイエス・キリストを知り、心に受け入れて、イエスとの交わりに入ってほしいと願いました。イエス様との交わりは、本当の喜びをもたらします。キリストにある喜びは、ただ「うれしい」とか「楽しい」とかということではありません。喜べないような辛い時もあります。そんな時でも、私たちをしっかりと支えてくれる変わることのない喜びがあるということではないでしょうか。どんな状況に置かれても神様は私を愛しておられる、決して見捨てることはない、イエス様がいつも一緒にいてくださる、その確信に基づいています。この変わることのない喜びがあることを、忘れないでいたいと思います。

父なる神様は、御子イエス・キリストを通して、見えるお方、さわれるお方として、ご自身を私たちに現わしてくださいました。そして、キリストにある「永遠のいのち」をただで受け取りなさい、そして喜びに満たされなさいと、私たちを招いておられます。イエス様は、今も生きて、リアルに私たちに関わってくださいます。このイエス様との交わりに入れられていることを覚えて、心からの感謝をおささげしたいと思います。そして、キリストにある喜びを忘れずに、イエス様とともに歩み続けてまいりましょう。