主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

ヨハネの手紙第一2:1-2 「とりなしてくださる方」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「私たちには、御父の前でとりなしてくださる方、義なるイエス・キリストがおられます。」(ヨハネの手紙第一2:1)

【礼拝メッセージ要旨】

今日のところでヨハネは、イエスというお方がどういうお方であるのか、大事なことを語っています。今日はこの個所から、3つのことについて目を留めていきたいと思います。

1)罪を犯さないように
一つ目のことは、「罪を犯さないように」ということです。「あなたがたが罪を犯さないようになるためです」(1) これも、この手紙の目的と言えます。1:9で、私たちがその罪を正直に告白するならば、神はその罪を赦してくださるとヨハネは語っていました。そうすると、「告白すれば赦されるのなら安心して罪を犯そう」「罪を犯してしまったら告白すればいいではないか」と安易に考える人もいるかもしれません。もしそのように自分に都合の良いように受け止めるとしたら、いつまでたっても成長できません。ヨハネはそのことを心配して、「あなたがたが罪を犯さないようになるためです」と言っているようです。私たちが罪を犯さないようになることが一番良いことであって、神が願っておられることだということです。そのために、私たちが罪を犯さないように気を付けて、みことばに教えられ、励まされながら、日々罪と戦っていくこと、そのために努力することも大切だと言っているのではないでしょうか。それでも、私たちは罪を犯してしまいます。完全に罪を犯さなくなるということは、残念ながらありません。

2)とりなしてくださる方
そんな私たちのために、神様は対策を備えてくださいました。2つ目のことは、「とりなしてくださる方がおられる」ということです。「私たちには、御父の前でとりなしてくださる方、義なるイエス・キリストがおられます。」(1) どうしても罪を犯してしまう私たちのために、イエス・キリストというお方は、私たちを父なる神様の前で「とりなして」くださる、というのです。イエスがとりなしてくださるとは、どういうことなのでしょうか?「とりなしてくださる方」と訳されている言葉(パラクレートス)には、「その人を助けるためにその人の傍らに呼ばれた者」という意味があります。これは、当時一般的には、裁判の席で訴えられた人を弁護するために呼ばれた「弁護人」のことを指すことばであったようです。弁護士は、法的な知識とふさわしい資格をもっていて、法的な根拠に基づいて依頼人が少しでも有利になるように弁護をしてくれます。頼もしい存在です。そのように、イエス様は「私たちの弁護士のようなお方」だというのです。父なる神様が、イエス様を私たちのそばに備えてくださいました。イエス様は、私たちの「弁護人」として、間に立って、どうしても罪を犯してしまう弱い私たちのために、父なる神様に弁護してくださる(とりなしてくださる)、ということです。

3)なだめのささげ物として
では、イエス様はどのように「弁護して」くださるのでしょうか?3つ目のことは、「イエスは、なだめのささげ物となられた」ということです。「なだめのささげ物」(2) とは、「罪に対する神の怒りをなだめるためにさげられるささげ物」という意味です。神様は、罪に対しては怒るお方です。イエス様も怒りました。「義」である神様は、罪を見過ごしにされることはないのです。罪に対してはふさわしい処罰がなされなければなりません。その「罪に対する神の怒り」が解かれるために「ささげられる物」が、「なだめのささげ物」です。それは、その罪のために支払われる「代価」とも言えるものです。本来であれば、罪を犯した本人が自分自身でささげる(支払う)必要があります。旧約の時代は、多くの家畜の血がささげられました。しかし、彼らの罪が完全に赦されることはありませんでした。
そんな彼らのために、神は「完全ななだめのささげ物」を備えてくださいました。罪に対する神の怒りを完全になだめることのできる、「完全ないけにえ」であり、「それに見合うふさわしい代価」とも言えるものです。それが、「神の御子イエス・キリスト」、イエス様なのです。イエス様は神ご自身です。全く罪汚れのない、完全にきよいお方です。そのお方の血が流されることによって、神の義の要求が満たされて、人の罪に対する神の怒りが解かれることになりました。なんと、神ご自身が、大切なひとり子を人の罪の代価としてささげてくださいました。神様ご自身が、何もできない私たち人間に代わって、私たちには到底支払うことのできない大きな代価を支払ってくださったのです。ここに私たち人間に対する神様の大きなご愛が現わされています。この事実(根拠)があるからこそ、イエス様は父なる神様の前で私たちをとりなすことができるのです。イエス様は、「この人の罪の代価は支払い済みです。わたしの血によって。」と言って、私たちを弁護してくださるのではないでしょうか。

「いや、私たちの罪だけでなく、世全体の罪のためのなだめのささげ物です。」(2) イエス様は、時代を越えて空間を越えて、すべての人のために、その罪を負い、十字架で命をささげてくださいました。誰であっても、イエスのもとに来て、神が備えてくださった救いを受け取るならば、その人の罪は赦されて神との交わりに入れていただけます。イエスがとりなしてくださいます。

 私たちも、イエス様に出会い、イエス様のもとを訪ねて、十字架の救いを自分のものとして受け取ることができるようにしていただきました。それでも私たちは失敗する者、罪を犯してしまう者です。イエス様は、そんな私たちと一緒に人生を歩んでくださいます。そして、弱い私たちのためにとりなし、助け導いてくださいます。本当に素晴らしい、頼りになる弁護人のようなお方が、いつも私たちの傍らにいて、助けてくださるのです。この大きな恵みを覚えて、心からの感謝をおささげしましょう。そして、これからも、イエス様の助けをいただきながら、私たちの内にある罪と日々戦って、イエスに似る者へと変えられていきたいと思います。