主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

ピリピ人への手紙4:15-23 「ささげる恵み」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「また、私の神は、キリスト・イエスの栄光のうちにあるご自分の豊かさにしたがって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。」(ピリピ人への手紙4:19)

【礼拝メッセージ要旨】

今回でピリピ書の最終回となります。今日の個所は、この手紙の最後のあいさつの部分となります。このところでパウロは、改めてピリピの人たちへの感謝を伝え、彼らの「愛の贈り物」に関連して彼の思いを述べています。

1)ピリピ教会の愛のわざへの感謝
ピリピは、パウロがマケドニアの地で最初に福音を伝えた町です。そこで紫布の商人であったリディアという女性に出会い、彼女とその家族が救われ、また、パウロが投獄された牢の看守とその家族もイエスを信じて救われました。そうしてピリピ教会が誕生し、ヨーロッパで最初の教会となりました。ピリピ教会は、パウロのために献金や生活に必要な物を送って彼の働きを支え続けました。パウロは、そんな彼らの愛の贈り物に心からの感謝を表わしています(15,16)。

彼らはどうしてそれほどまでしてパウロを支援したのでしょうか?「彼らの満ちあふれる喜びと極度の貧しさは、苦しみによる激しい試練の中にあってもあふれ出て、惜しみなく施す富となりました。」(Ⅱコリント8:2)。貧しさや困難の中にあっても、彼らは喜んで、惜しみなくささげたのです。救われた喜びにあふれて、自分たちにできることをしたいと願ったようです。パウロは、そんなピリピ教会の人たちからの心のこもった「愛の贈り物」を、本当に感謝して受け取りました。

贈り物をする時は、その相手の人のことを思い、プレゼントを選んで届けます。そこには感謝と愛の心が込められています。また、プレゼントをいただいた時はうれしいものです。その人の思いやりが感じられるからです。パウロも、ピリピ教会の人たちの思いやりが本当にうれしかったと思います。それは、パウロにとって大きな力となったはずです。私たちも、誰かに「愛の思いやりの心」を表わすことをぜひ心掛けたいと思います。

2)神へのささげもの
このピリピ教会から受けた「贈り物」に関連して、パウロは、さらに「ささげる」という行為(献金)について、大事なことを語っています。そこで次に、パウロの言葉から「献金(ささげること)」について教えられることを4つの点から確認したいと思います。

一点目のことは、「献金とは神へのささげもの」ということです。「それは芳ばしい香りであって、神が喜んで受けてくださるささげ物です」(18) 「芳ばしい香り」とは、旧約の時代にユダヤ人が家畜を神にささげ、祭壇で焼いて煙にしたという、その礼拝行為のことを表わしています。教会がささげる献金も、神に対してささげられる「ささげもの」だということを意味しています。私たちが心からささげるものを、神様は喜んで受け取ってくださいます。それは、感謝と喜びと愛の動機からなされるものです。決して「強いられて」ではなく、「義務的に」でもなく、「人と比べて」でもありません。もちろん、「何か見返りを期待して」ささげられるものでもありません。感謝の心から、自由に、喜んでささげられるものです。このことを今一度、大事なこととして確認したいと思います。

3)神にお返しすること
二点目のことは、「献金とは神にお返しすること」だということです。神様は私たちに豊かに与えてくださるお方です。その受けた豊かな恵みへの感謝として、「持っているものに応じて」(Ⅱコリント8:12)一部を神様にお返ししていくことです。それは、ないところから無理に出すものではありません。神様の恵みは「先払い」なのだな、とつくづく思わされます。私たちがささげることによって、「見返りとして」恵みがもたらされるのではありません。先に神様の恵みがあるのです。その受けた恵みへの応答として、感謝を持ってお返ししていくことが神へのささげものです。このことをぜひ心に留めたいと思います。

4)神はささげられたものをふさわしく用いてくださる
三点目のことは、「神はささげられたものをふさわしく用いてくださる」ということです。神様は全能で無限のお方で、何にもよらずに存在できるお方です。神様にとっては、私たちのささげるものは別に必要ではありません。では、私たちのささげるものを神様はどのように用いられるのでしょうか?神様は、ささげられたものを、必要としている働きや人のためにふさわしく配分し、用いてくださいます(Ⅱコリント8:14,15)。ピリピ教会が神にささげたものがパウロの働きを助けるために用いられたように、私たちのささげる献金も教会の働きが続けられるために、また教会外の働きのためにも用いられるのではないでしょうか。神様が私たちに思いを与え、知恵を与え、一番良いように用いてくださるのです。

5)ささげる恵み
最後に確認したいことは、「ささげる恵みがある」ということです。神様には無限の豊かさがあります。その豊かさの中から、恵みとして私たちの必要を満たしてくださる、というのです(19)。私たちがささげることも、実は「神の恵み」だと、パウロは言っています(Ⅱコリント8:1)。マイナスになるどころか、プラスとされるというのです。「私が求めているのは、あなたがたの霊的な口座に加えられていく実なのです。」(17)パウロは、ピリピの人たちが「愛のわざ」に励むことを通して霊的に成長し、御霊の実を結ぶことを何よりも喜び、願っていました。それも「神の恵み」です。

神様は、私たちが感謝の心もって、心から喜んでささげる時に、豊かな恵みをもって私たちを祝福してくださいます。このことを覚えて、私たちも、この「ささげる恵み」にあずかる者となりたいと思います。