主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

ピリピ人への手紙4:10-14 「私を強くしてくださる方」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「私は、どんな境遇にあっても満足することを学びました。」(ピリピ人への手紙4:11)

【礼拝メッセージ要旨】

これまでしばらく学んできましたピリピ書もあと2回で終わりにしたいと思います。今日の個所には、この手紙を締めくくるにあたって、パウロがピリピ教会への感謝のことばを述べていることが記されています。

1)「愛の贈り物」への感謝
「私を案じてくれるあなたがたの心が、今ついによみがえってきた」(10) これまでピリピ教会は、パウロのために献金や物を送って支援を続けてきました。そうしたこれまでの諸々の心遣いに、パウロは心からの感謝をささげています。「乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満足することを学びました。」(11)一方で、支援が滞ったとしても自分は乏しいことはない、満足していると告白しています。この時パウロは、ローマの牢獄に置かれ自由のない身でした。普通に考えれば困難な状況にあったと言えます。とても「満足できる」ような状況ではなかったはずです。ところが彼は、そんな境遇でも満足しているというのです。どうしてそう言えたのでしょうか。

2)どんな境遇にあっても満ち足りる
「どんな境遇にあっても満足する」とは具体的にどういうことなのか、12節で説明しています。「貧しくあることも知っており、富むことも知っています」パウロは確かに、あらゆる境遇を経験した人でした。ユダヤ人の裕福な家庭に生まれ、最高の学問を修め、ユダヤ教の指導者としての地位を築きました。経済的にも何不自由なく、人々から一目置かれるような存在であったと思います。彼は、「富むこと」を知っていました。一方で、イエスに出会いクリスチャンになってからは、同胞のユダヤ人から「裏切者」と呼ばれ、迫害を受ける身となりました。それでも彼は、救われた喜びに満たされて、精力的に福音宣教の働きに出て行きます。その生活は実に困難の多いものでした。身の危険、飢え渇き、病に苦しむこともありました。パウロはあらゆる「貧しさ」も経験しました。そうした「どんな境遇にあっても」、彼は「満足して」いたというのです。「満足する」とは、「満ち足りている」ということです。心が満たされている、不平不満を抱かない、その時自分に与えられているものや状況に満足できる、それを受け入れることができる、そうしたことを言っていると思います。私たちはどうでしょう?パウロのように、どんな境遇にあっても満足することができるとしたら、どんなにすばらしいことだろうかと思います。しかし実際には、簡単なことではありません。

3)満ち足りる秘訣
では、パウロはどうしてどんな境遇にあっても満足することができたのでしょうか?「ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています」(12)その「秘訣」があるというのです。「私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです。」(13) ここに、その秘訣が表わされています。このところを2つの点から少し考えてみたいと思います。

①一つは、「私を強くしてくださる方がおられる」ということです。そのことを信じることです。「私を強くしてくださる方」とは、主イエスのことです。イエス様はどんな時にも一緒にいてくださいます。順境の時も逆境の時も、私たちを決して見放すことなく、そばにいてくださるお方です。パウロはそのことを確信していました。そのお方が、「私を強くしてくださる」というのです。このことに関してパウロはコリント第二の手紙で次のように語っています。「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」、「ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」(Ⅱコリント12:9) これは、自分にはどうすることもできない弱さがあるということを認めて、神にゆだね明け渡していく時に、その自分の弱さを通して神の力が働いていく、ということを意味していると思います。パウロは、この大事なことに気づかされていきました。そして「私が弱いときにこそ、私は強いからです。」(同12:10)と告白しています。「私を強くしてくださる方」とは、このことを言っているように思います。自分の弱さを通して神の力が働いていく、ということです。私たちもこのことを信じて、イエス様にゆだねていきたいと思います。

②もう一つのことは、「私はどんなことでもできる」ということです。これは、自分の力で何でもできるようにされるということではありません。むしろ、自分の弱さや無力さを思い知らされることです。「何もできない自分、弱い自分」を素直に認め、受け入れるところから恵みが入ってくるのです。そうする時に、神様は困難に耐える力を与えてくださるのでないでしょうか。どんな境遇に置かれても、それを受け入れることができるように弱い私たちを助けてくださいます。そして、自分に与えられるものや状況を感謝して受け取る者とされていくのだと思います。イエス様に信頼し、明け渡していくときに、私たちの心は満たされていくのです。これが、パウロが語っている「ありとあらゆる境遇に対処する秘訣」です。

イエス様は、私たちを強くしてくださるお方です。イエス様は、私たちの心を満たしてくださいます。このお方に信頼し、力をいただいて、どんな状況に置かれても、心満たされる者となりたいと思います。