主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

ヨハネの福音書8:1-11 「義人はいない」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「ユダヤ人もギリシア人も、すべての人が罪の下にあるからです。」(ローマ人への手紙3:9)

【礼拝メッセージ要旨】

今日はレントに関連して、ヨハネ8章の出来事から、私たちの中にもある「罪の現実」について目を留めたいと思います。

1)姦淫の現場で捕らえられた女性を巡って
ヨハネ8:1~11には、ある一人の女性を巡ってユダヤ人指導者たちとイエスのやり取りが描かれています。ある時、イエスがエルサレムの神殿に入ると、多くの民衆がイエスの教えを聞くために集まってきました。一方で、ユダヤ人の宗教指導者たちは、そんなイエスの姿を苦々しい思いで見ていました。彼らの目には、イエスは神を冒涜していると見えたのです。しかし、その根底にはイエスに対するねたみや憎しみがありました。その思いはついに殺意へと変わっていきます。この時彼らは、姦淫の罪を犯した女性をイエスのもとに連れて来て「あなたは何と言われますか」と尋ねます。彼らは、イエスがどう答えてもイエスを訴えることができると確信していました。
これに対してイエスは、「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの人に石を投げなさい。」と逆に問い返します。これを聞いて、彼らは何も言えずに、年長者たちからその場を立ち去ります。そしてついには、その女性とイエスだけが残されました。イエスの言葉に心が刺されて、自分の中に罪があることを認めざるを得なくなったようです。「わたしもあなたにさばきを下さない。行きなさい。これからは、決して罪を犯してはなりません。」(11)あとに残されたこの女性にイエスは優しく語り掛け、罪の赦しを宣言しました。イエスは、彼女の心にしっかりと寄り添ったのです。

2)義人はいない
この出来事は、私たちもハッとさせられるようなことです。そこで、このところから教えられることとして、3つの点に目を留めてみたいと思います。
まず一つ目のことは、「すべての人の中に罪がある」ということです。「ユダヤ人もギリシア人も、すべての人が罪の下にあるからです。」(ローマ3:9)聖書が語る「罪」とは、「神が人に定められた道を踏み外す」ということを意味しています。自己中心の生き方、とも言えます。パウロは、人は生まれながらにしてこの罪の奴隷のようになっていて、自分の力ではそこから抜け出すことができないと語っています。イエスを罠にかけようとした宗教指導者たちは、自分たちは神に従って正しく生きていると思い込んでいましたが、実際は妬みや憎しみといった罪に心が支配されていました。彼らはそのことに気づけないでいたのです。パウロ自身も、自分の中にある罪の現実に悩み、苦しんでいたことを告白しています(ローマ7章)。私も、三浦綾子さんの小説を通して、自分の中に自分ではどうすることもできない暗闇があるということに気づかされ、やがて教会を訪ねることにつながっていきました。そのように、確かにすべての人は罪の下にある、と言えるのではないでしょうか。今、世界中で起こっていることを見ても、人間の罪の現実を見る思いがします。

3)神は人が罪の下にあることを悲しまれた
二つ目のことは、「神は人が罪の下にあることを悲しまれた」ということです。神は、そんな罪の奴隷となっている人間のことをあわれみ、悲しまれました。何とかして罪から救いたいと願われたのです。この「神様のあわれみ」がなければ、私たちの救いはありませんでした。本当に感謝なことです。そして、人を罪の奴隷から解放するために、神のひとり子イエスを人としてお遣わしになりました。神が人の罪を解決するためになされた唯一の方法が、イエスの十字架による「贖い」でした。この「贖い」ということについては、次週ご一緒に考えたいと思います。

4)イエスは心の闇を照らしてくださる
そして三つ目のことは、「イエスは心の闇を照らしてくださる」ということです。イエスから「あなた方の中で罪のない者が、まずこの人に石を投げなさい」と言われて、最初にそこを立ち去った人の姿に目が留まりました。その最初の一人がいたからこそ、あとに続く人が起こされたのではないでしょうか。彼は、イエスの言葉を聞いて、自分の中に良くない思いがあったことに気づかされたようです。そして彼は行動しました。立ち上がって向きを変えたのです。それは、よほど勇気のいることであったはずです。メンツも捨てて、彼は行いを改めました。その姿を見て、一人また一人とあとに続いたのです。彼はなぜそうすることができたのでしょうか?イエスの言葉が彼の心の闇を照らしたからです。心の闇に光が当てられて、間違いに気づかされ、正しい行動へと駆り立てられました。イエスの言葉が彼の心を動かしました。
私たちも、この人の姿にならいたいと思います。今の時代、学校での「いじめ」やSNSによる誹謗中傷などの問題があります。大勢の声や大きな声に、おかしいと思っても反対できずについ流されてしまう、ということはないでしょうか。そうならないためにも、いつもイエス様の声に聞いていたいと思います。

今日はレントに関連して、「罪」というテーマでご一緒に思いを巡らしました。自分も含めて、すべての人の中に罪があるという現実を忘れないでいたいと思います。イエス様は、この罪の問題を解決するために、人となって私たちのところへと来てくださいました。そして十字架へと向かわれました。このことを覚えて、感謝をおささげしましょう。