主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

使徒の働き28:16-31 「そして福音は全世界へ」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「パウロは、まる二年間、自費で借りた家に住み、訪ねて来た人たちをみな迎えて、少しもはばかることなく、また妨げられることもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。」(使徒の働き28:30,31)

【礼拝メッセージ要旨】

今日で使徒の働きの最終回となります。パウロは無事ローマに到着し、そこで2年間、ローマ政府の監視下に置かれます。パウロがローマに導かれたことにはどんな意味があったのでしょうか。

1)ローマでの生活
クレタ島で三か月を過ごしてから、パウロを連れた一行は船出し、イタリアのプテオリの港に入港し、そこから陸路でローマを目指します。ローマの兄弟たちは手前の町までパウロを出迎え、やがてローマに入ります。当時ローマは、世界の中心と言われるような非常に繁栄した大都会でした。各地への道路網が整備され、多くの人と物がローマに集まっていました。そこでパウロはローマ政府の監視下に置かれますが、比較的自由な生活が許されたようです。

2)ユダヤ人たちに福音を語るパウロ
パウロはさっそく、ローマにいたユダヤ人たちを自分のいた家に呼び集めます。誤解され、憎まれていると分かっていても、同胞であるユダヤ人がイエスを信じて救われてほしいと心から願っていたのです。ローマのユダヤ人たちはパウロの呼びかけに答えて集まり、彼の話を冷静に聞く姿勢を示しました。そして日を改めて大勢でパウロを訪ねます。そこでパウロは、大胆に福音を語りました。「イエスについて彼らを説得しようと朝から晩まで語り続けた。」(23)彼らの救いを願うパウロの熱い思いが感じられます。

3)福音を受け入れないユダヤ人たち
ところが、彼らの多くはパウロの語る福音を信じようとはしませんでした。その反応を見て、パウロはイザヤ書を引用して告げます。「あなた方は聞くには聞くが、決して悟ることはない。」(26)そして、「神のこの救いは、異邦人に送られました。」と宣言します。一見、突き放して言っているかのようにも聞こえます。しかしパウロは、ユダヤ人の救いをあきらめたわけでありませんでした。むしろ、何とかしてイエスを信じて救われてほしいと願って、この言葉を語ったようです(ローマ11章参照)。

4)ローマから世界へ広がる福音
その後、パウロは2年間、ローマで監禁状態に置かれることになります。その2年の間、パウロは、非常に有意義に過ごすことができたようです。まず、彼はローマの権威によって守られていました。また、そこで神様との深い交わりの時間が与えられました。この間、彼はエペソ、ピリピ、コロサイ、ピレモンの4つの書簡を書き送っています。そして、彼を訪ねて来た多くの人々に福音(イエスによる救い)を自由に、大胆に語ることができました。ローマ帝国内の共通語であったギリシア語と道路網も用いられて、瞬く間に福音は世界の中心ローマから世界中へと広められていったのです。神様は、パウロを選びの器として大きく用いられました。ここにも、神様のご計画が現わされていたと言えます。

5)私たちにも委ねられている福音宣教
使徒の働きはここで終わっています。このあと、パウロがどうなったかは一切記されていません。何だか、中途半端な終わり方のようにも思えます。このことは、「この働きはここで終わらずに今も続いている」ということを示しているのではないでしょうか。その後、キリスト教はローマ国教として認められ、さらに世界中へ福音は宣べ伝えられ、やがて日本にいる私たちにも届けられました。こうして考えると、福音宣教はこの使徒の働きから脈々と続いてきたと言えると思います。福音は今も広がり続けています。そして今、この働きは私たちにも委ねられている、ということではないでしょうか。私たちにできることを祈りながら考えていきたいと思います。

6)パウロを駆り立てたもの
このように、パウロは福音宣教に自分の人生をかけました。そのために、度重なる困難や迫害、投獄をものともせずに、山を越え海を越えて、福音を伝え続けたのです。パウロはどうしてそこまでして福音を伝えようとしたのでしょう?最後に、このパウロがそれほどまでして伝えようとした「福音」について確認をしたいと思います。「私は福音を恥としません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。」(ローマ1:16)パウロは、このことがよく分かっていました。自分自身が体験したことだからです。救われた感謝と喜び、そして神から受けた使命から、一人でも多くの人の救いを願って出て行ったのです。

私たちは、パウロと同じようにはできないかもしれません。神様から与えられている賜物も召しも、人それぞれ同じではないからです。それでも、福音宣教のために、私たちにできることがあると思います。①まず、「福音の力」を信じることです。福音には人を救う力があると信じましょう。②そして「祈ること」です。あきらめずに、家族や周りの人たちの救いを祈り続けてまいりましょう。また、私を用いてくださいと祈りたいと思います。③さらに、「自分にできる小さなことを具体的になしていく」ことです。それは例えば、今いるところで、自分の生活を通してイエスを証ししていくことかもしれません。あるいは、自分の家族や近くにいる人たちに、イエスがしたように愛を現わし、仕えていくこともそうかもしれませんね。
私たちも、自分にできるやり方で福音を証ししていきたいと思います。