主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

使徒の働き21:1-16 「パウロの覚悟」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」(詩篇37:5)

【礼拝メッセージ要旨】

今日からまた使徒の働きの続きに戻ります。今日の箇所には、パウロの一行がミレトスを出航して、途中いくつかの港町に立ち寄りながらエルサレムに到着するまでの出来事が描かれています。この時パウロはどんな思いでエルサレムを目指していたのでしょうか。

1)ミレトスからツロへ
ミレトスから船出したパウロの一行は、やがてフェニキアのツロの港に入港し、そこに7日間滞在します。彼らはさっそくツロのクリスチャンたちを訪ねて、彼らと温かい交わりを持ちました。ツロの兄弟たちはパウロの行く末を案じて、エルサレムには行かないようにと何度も引き止めますが、パウロの決意は変わりません。船が出航する日、人々はパウロとの別れを惜しんで、家族を連れて海岸まで見送りに来て、一緒に祈りの時を持ちました。初対面の、しかもたった一週間の滞在にもかかわらず、昔からの友人であるかのように深い信頼で結ばれていたようです。ここに、クリスチャンの交わりの素晴らしさを見る思いがします。イエス様を信じている仲間同士、世界中どこに行っても通じ合える信仰の友がいるのです。本当に感謝なことです。そうした信仰の友とのつながりを大切にしたいと思います。

2)ツロからカイサリアへ
ツロを出航した一行は南へ向かい、プトレマイスを経由してカイサリアの港に入港します。ここからは陸路でエルサレムを目指すことになります。このカイサリアの町で、パウロはピリポを訪ねます。ピリポは、かつてエルサレム教会で使徒たちを支えるために選ばれた7人のリーダーたちのうちの一人です。その後ピリポはカイサリアに行って、それから20年位カイサリアに腰を据えて伝道活動をしていたようです。実は、かつて、このピリポとパウロと接点のある、共通の人物がいました。あのエルサレムで、ユダヤ人たちに捕らえられ殉教した「ステパノ」です。彼も選ばれた7人のうちの一人でした。ピリポとは同労者であり、信仰の友であったはずです。一方パウロは、その時熱心なユダヤ教徒としてクリスチャンを迫害する側にいて、ステパノの殺害に加担していたのです。もちろん、パウロはその後回心して、180度変えられて大きな働きをしますが、ピリポはそんなパウロのことをどのように見ていただろうかと思います。そんな二人が、20年後、カイサリアで出会いました。ピリポはパウロの一行を温かく迎えて、できる限りのもてなしをしたようです。かつては敵であり、友を殺したパウロを、今は愛する兄弟として迎えたのです。「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」このステパノの最後の祈りの言葉が思い起こされます。このステパノの祈りが聞かれて、二人の間に和解がもたらされたのではないでしょうか。ここにも、クリスチャンの交わりの素晴らしさが現わされているなと思います。赦し合う姿です。

3)パウロの覚悟
パウロの一行がピリポの家に滞在していた時に、アガボという預言者がユダヤから訪ねてきて、パウロは捕らえられ異邦人の手に渡されると預言しました。これを聞いて、パウロに同行していた者たちもカイサリアの兄弟たちも、パウロにエルサレムには上って行かないようにと懇願します。しかしパウロは、「主イエスの名のためなら、死ぬことも覚悟しています。」(13)と答えます。そこで困難が待ち構えていると承知の上で、それでも行こうとしていたのです。彼はどうしてそこまでしてエルサレムを目指したのでしょうか。それが、神から自分に与えられた使命であり、どうしてもしなければならないことだと、受け止めていたようです。彼の心には圧倒的な平安があって、喜んで従ったと思います。パウロは、自分の身を通して神のみこころがなされることを心から願いました。それがパウロの決めた「覚悟」でした。

4)覚悟を決めるとは
ここで、「覚悟を決める」ということについて、少し考えてみたいと思います。「覚悟を決める」とは、「心の準備、心備えをすること」です。とは言っても、パウロには、全部自分で負うのだという気負いのようなものはなかったと思います。パウロはすべてを神に委ねていました。この先何が起ころうとも、神が共にいてくださり、一緒に担ってくださるのだ、という確信があったのです。自分一人でこの道を行くのではない、イエスが一緒に行ってくださると信じて、お任せしていたのではないでしょうか。だからこそ、パウロの心の中には圧倒的な平安があったのだと思います。
「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」(詩篇37:5) あなたの行こうとしている道をあなたの主である神にゆだねなさい。主はあなたとともにいて最善へと導いてくださる。そんな力強いみことばです。私たちも何か「覚悟を決める時」、ぜひこのことを心に留めたいと思います。何か大事な決断をしなければならない時、まずよく祈ることです。「主よ、あなたのみこころはどこにあるのでしょうか?」と、真剣に祈り求めたいと思います。その祈りを通して、神様は思いを与えてくださいます。そこに平安があるのならば、それはみこころ(神様のゴーサイン)と言えるのではないでしょうか。そして、その道を行くことを決断したならば、主に信頼してお任せすることです。心を自由にして、主のみこころを求め、導かれるままに従って行きたいと思います。

パウロは、人間的な思いによらず、周りの人たちの言葉に動かされることもなく、ただ主のみこころを求めてそれに従いました。私たちも、パウロが願ったように、自分の身を通して神のみこころがなされるようにと祈ってまいりたいと思います。そして、主が最善に導いてくださると信じて、今自分のなすべきことに、精一杯取り組んでまいりましょう。