主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

詩篇30:1-12 「いのちは恩寵のうちに」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「まことに、御怒りは束の間 いのちは恩寵のうちにある。夕暮れには涙が宿っても 朝明けには喜びの叫びがある。」(詩篇30:5)

【礼拝メッセージ要旨】

今日は、詩篇30篇から、ダビデの感謝の祈りに学びたいと思います。

1)主の癒やしへの感謝
「私が叫び求めると あなたは私を癒やしてくださいました」(2) ダビデは神をほめたたえ、感謝をささげています。それまでダビデが、何かいのちにかかわるような大きな困難の中に置かれていたことがうかがえます。そして、その困難な状況の中から救い出されたことに対して感謝の祈りをささげているようです。ダビデの人生は、波乱万丈な困難だらけの人生でした。サウル王や息子のアブシャロムに命を狙われ、信頼していた部下にも裏切られました。そんな苦しい状況の中でも、ダビデはいつも神に信頼し祈っていました。自分では決して仕返しをせずに神に委ねていたのです。この時ダビデは何か重い病にかかって、そこから癒されたのではないかとも考えられています。本当に苦しい中で神に叫び求めていました。そんなダビデの祈りに答えて、神は彼を癒し回復させてくださったようです。そしてダビデは感謝の祈りをささげました。

2)いのちは恩寵のうちにある
ダビデは、この苦しい経験を通して大事なことに気づかされていったようです。特に二つのことに目を留めたいと思いますが、一つは「いのちは恩寵のうちにある」ということです(5)。「御怒りは束の間」ダビデは、今自分がこの苦しみの中に置かれているのは神の怒りを受けたからではないか、と感じたようです。しかしこれは、神が怒ってダビデを苦しみの中に置かれたということではないと思います。むしろ神はダビデのことをあわれんで見ておられたのではないでしょうか。そして、それは「束の間」のことだと言っています。苦しい状況は長くは続かない、癒される時、回復の時が来る、ということです。「夕暮れには涙が宿っても 朝明けには喜びの叫びがある」涙にくれるような苦しい中に置かれても、喜びに変えられる時が来るというのです。とは言っても、すぐに回復されるとは限りません。しばらく苦しい状況の中に置かれ続けることもあります。それでも癒される時が来る、喜びに変えられる時が来るのだと、ダビデは自分の経験から実感を込めて告白しています。神様は、涙を喜びへと変えてくださるお方なのです。
「いのちは恩寵のうちにある」「恩寵」とは、神の恵みのことです。私たち一人一人に向けられている神様の深いあわれみ、いつくしみのことを指しています。その神の恩寵のうちに、私たちのいのちは保たれています。ダビデは、何度も困難の中に置かれて、その苦しみの中で必死に神に祈る中で、確かに神の恵みが注がれている、神に守られ、支えられている、自分のいのちは神の御手の中にあると確信することができたのだと思います。私たちは、自分のいのちを願ったようにコントロールすることはできません。それでも、神様は私たちに目を留めておられます。私たちのいのちは、私たちにいのちを与えてくださった大きな神の御手の中に保たれています。そして私たちはたくさんの神様の恵みを受けて、今生かされているのではないでしょうか。私たちは、自分の人生をこの大きな神様にゆだねることができるのです。それは本当に安心できることです。神様は、いつも私たちとともにいてくださいます。このことを覚えて、神様が最善へと導いてくださると信じて、私たちの人生を神様にゆだねてまいりたいと思います。

3)自分の力に頼らない
ダビデがこの経験を通してもう一つ気づかされたことは、「自分の力に頼らない」ということです。「私は決して揺るがされない」(6) ダビデが順調ですべてがうまくいっているような時、いつしか自分の力を過信して、自分は大丈夫だと考えるようになっていたようです。そんな時に、ダビデは大きな失敗をしています(バテ・シェバ事件)。「あなたが御顔を隠されると、私はおじ惑いました」順調な時には自分の力に頼り、逆境に置かれると神は私を見捨てたと思えてくる、と言っているようです。しかしこれは、神がダビデを見捨てたのではなくて、ダビデが神から目を離したということではないでしょうか。自分の力に頼り、神様から目を離してしまうことです。イエスを見つめて湖の上を歩きだしたペテロが、強い風を見て怖くなり沈みかけた姿が思い起こされます(マタイ14章)。ペテロは、イエスから目を離した時に、恐れ惑ってしまいました。私たちも、ダビデやペテロのように自分や周りのことに心が囚われて、神様から目を離してしまう事はないでしょうか。そんな時、私たちの心もその時の状況に左右されて大きく揺れ動いてしまいます。ダビデは、この困難を通して、そのことに気づかされていったようです。健康で、物事が順調にうまくいっている時には、自分の力を誇り頼っていました。しかし、実はその時にも、神の恵みによって守られ支えられていたのです。私たちも、いつも神様の恵みによって支えられていることを覚えて、イエス様から目を離さないようにしたいと思います。

4)感謝の祈りへ
こうしてダビデは、この病の経験を通して大事なことに気づかされていきました。そして祈りました。「主よ あなたを私は呼び求めます」(8) 神に信頼を置いて祈り求めています。そして最後は、感謝の祈りで締めくくられています。嘆きが踊りに変えられ、悲しみが喜びに変えられたことへの感謝をささげました。「私の神 主よ、私はとこしえまでも、あなたに感謝します。」(12) ダビデは、困難と思えることの中にも神の恵みが注がれていることを確信して、感謝の祈りをささげました。

私たちも、ダビデのように感謝の祈りをおささげしたいと思います。どんな時でも、神様の恩寵は私たちの上に変わることなく注がれ続けています。順調な時にも、そうでない時にも、神の恵みによって支えられていることを忘れずに、感謝をささげたいと思います。そして、迎えたこの新しい年も、私たちのいのちを保ってくださっている、主なる神様に信頼を置いて、共に歩んでまいりましょう。