主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

使徒16:6-10 「神の導きにゆだねて」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「人の心には多くの思いがある。しかし、主の計画こそが実現する。」(箴言19:21)

【礼拝メッセージ要旨】

今日の箇所には、パウロの一行が神様に導かれながら旅を続けていく姿が描かれています。今日はこのところから、「神様の導き」ということについてご一緒に学びたいと思います。

1)アジアへの道が閉ざされる
リステラの町でテモテが仲間に加えられて、パウロの一行は一路、西へと向かいます。どうやらアジア州へ入って、西の端にある首都エペソを目指していたようです。ところが、アジアでみことばを語ることを聖霊によって禁じられてしまいます(6)。背後に神様の働きかけがあって、今アジアに向かうべきではないとハッキリと示されたのです。当初彼が行こうとした道が「閉ざされて」しまいました。その時パウロは、「これはみこころではない」と受け止めて、向きを変えてルートを北寄りにとって、北西の方向に進んで行きました。

2)ビティニアへの道も閉ざされる
そうしてミシヤまで来て、今度は進路を北に変えて、ビティニアへ向かおうとします。ところが、またしてもイエスの御霊(聖霊)によって禁じられてしまいます(7)。パウロは、この時もその導きに従い、そのまま北西の方向に進んで行きました。そうして彼らは、やがてトロアスという港町にたどり着きます(8)。このトロアスの港から船に乗ってエーゲ海を渡れば、向こう側はマケドニアと呼ばれる地方、つまりヨーロッパとなります。

3)トロアスの町で ~この海を渡れ~
トロアスでパウロは、自分が行くべき道を真剣に祈り求めていたと思われます。そんなある日のこと、彼はある幻を見ます。一人のマケドニア人が「ここに渡ってきて私たちを助けてください」と助けを求めている、そんな不思議な幻でした。この時パウロは、神が自分たちをそこへと召しておられると、ハッキリと確信します(10)。神は「この海を渡れ」と言っておられる、というのです。そうして彼らは、マケドニアに渡って行くことを決意します。当初の計画とは随分違うところへと導かれていきました。また、トロアスでルカに出会い、彼が一行に同行することになったようです(10節からの「私たち」章句)。ルカは、パウロの宣教の働きを支える重要な同労者となります。神様は、ルカとの出会いにも導いてくださったのです。

4)神様の導きについて
この一連の出来事から、「神様の導き」について教えられることがあるように思います。3つの点から確認をしたいと思います。

①第一点目は、「道が閉ざされることもある」ということです。
自分の願いや計画したことが、その通りには進まない、道が閉ざされてしまう、ということも人生の中では起こりうることです。そんな時、がっかりしたり、落ち込んだりするかもしれません。それでも、そのことの背後には、私たちの思いをはるかに越えたところにある、神様の深いご計画があると受け止めたいと思います。神様は、ふさわしい時にふさわしい方法でご計画を進められます。私たちの人生にもふさわしい時が備えられている、ということを心に留めたいと思います。

②第二点目は、「行くべき道が示されることもある」ということです。
トロアスでは、幻によってパウロの行くべき道が示されました。神様からの「ゴーサイン」です。しかも、それは考えてもいなかったような道でした。このように、全く思いがけない道が開かれていくこともあります。そんな時は、本当に確信できるのであれば、神様の導きにゆだねて、迷うことなくまっすぐに進んで行っていいと思います。

③第三点目のことは、「神様は確信を与えてくださる」ということです。
神様はパウロに確信を与えてくださいました。示された道が、果たして本当にみこころなのかどうか迷うこともあるでしょう。これがみこころだと思ったことが、実は自分の願いとか主観的な思いに過ぎなかった、ということもあるかもしれません。客観的な目で、慎重に判断することはとても大事なことです。そんな時、祈りながら、神様のみこころを確認していきたいと思います。神様は私たちに確信を与えてくださいます。

では、私たちは、どのようにして神様のみこころを見極めることができるでしょうか。判断する上で、大事だと思えることを3点挙げたいと思います。
①一つは、「みことばと祈り」です。聖書のみことばを思い巡らし、祈ることを通して、それが神のみこころにかなうことなのかどうか、確認していくことです。
②二つ目のことは、「人の助言」です。信頼できる身近にいる人のことばも客観的な判断材料となります。人の言葉によって、自分が気付いていないところに気づかされることもあると思います。
③三つ目のことは、「状況」です。私たちが置かれる状況にも、神様のご計画が現わされているのではないでしょうか。どうしても道が開かれない場合は、「今はその時ではない」と、受け止めることも大切だと思います。

こうしたことを通して、神様のみこころはどこにあるのか、正しく判断し、見極めていきたいと思います。そして、神様の導きを真剣に祈り求めてまいりましょう。

私たちは、さまざまな願いや思いを心に抱きます。しかし、神様のご計画こそが実現すると、聖書は語っています(箴言19:21)。神様は、私たちの失敗を通しても、ご自身のご計画が成るように導かれるのです。

神様は、みこころのままに、私たちを導いてくださいます。このことを覚えて、神様の御声に聞きながら、神様の導きに従ってまいりましょう。