主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

使徒10:1-16,34-36 「すべての人の救い主」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「このイエス・キリストはすべての人の主です。」(使徒の働き10:36)

【礼拝メッセージ要旨】

今日の箇所には、ペテロを通してユダヤ人以外の「異邦人」にもイエス・キリストによる救いの扉が開かれていくという、画期的な出来事が描かれています。

1)コルネリウスへの御告げ
ある日、カイサリヤに駐留していたローマ軍の百人隊長で、「敬虔な人」であったコルネリウスに幻の中で神の御使いが現われて、人を遣わしてヤッフォの町にいるペテロを招くようにと告げました。「敬虔な人」とは、ユダヤ教を受け入れながらも割礼を受けていない異邦人のことを指します。彼らは、完全なユダヤ教徒とは認められていませんでした。コルネリウスは、み告げ通りヤッフォのペテロのもとに3人の部下たちを遣わします。

2)ペテロの見た幻
一方、ヤッフォにいたペテロは、その翌日、不思議な幻を見ます。天から大きな敷布のような入れ物が四隅を吊るされて降りてきて、その中には、様々な生き物たちがいました。その時天から「それらをほふって食べなさい」という声が聞こえてきました。しかしペテロは、「主よ、そんなことはできません」と拒みます。それらの生き物たちは皆、ユダヤ教では食べることが禁じられていた「汚れた生き物」だったからです。彼は、クリスチャンになってもユダヤ人としての習慣や常識に囚われていたようです。ペテロにとっては、どうしても受け入れがたいことでした。「神がきよめた物を、あなたがきよくないと言ってはならない」(15)神はそれを受け入れるように命じます。このようなことが3回繰り返されて、その入れ物は天に引き上げられました。

3)コルネリウスの救い
そこへコルネリウスの部下たちが訪ねてきて、神の御霊がペテロに彼らと一緒に行くようにと語り掛けます。この時ペテロはあの幻で示された「食べてはならない生き物」とは、「ユダヤ人以外の異邦人」のことであることに気づきました。ユダヤ人は、異邦人を「神を知らない汚れた民」とみなして、彼らと交わることを禁じていました。しかし神は、その異邦人を受け入れなさいと言われたのです。ペテロはそれを素直に受け入れました。そのことは彼にとって、それまで大事にしてきた価値観や習慣、常識と思っていたことを手放すことであったと思います。そうしてペテロは彼らと一緒にコルネリウスのもとに向かい、コルネリウスから招かれた理由を聞いて、一連の出来事を通して神がなさろうとしていたことに気づかされていきました。「どこの国の人であっても、神を恐れ、正義を行なう人は、神に受け入れられます」(35) 神は異邦人をも救われる、ということがハッキリと分かったのです。「このイエス・キリストは、すべての人の主です」(36)彼は心から告白し、彼らにイエスによる救いを証ししました。その時、それを聞いていた人々に聖霊が下り、コルネリウスたちはペテロからバプテスマを受けます。こうして、異邦人にも救いがもたらされていきました。

4)イエスはすべての人の救い主
最後に、今日の箇所から、大事なこととして2点確認したいと思います。一つ目のことは、「イエスはすべての人の救い主である」ということです。神は、すべての人を救いたいと願っておられます。血筋や民族やその人がそれまでどんな人生を送って来たかとか、何ができるかとかは全く関係ありません。誰であっても、その人がイエス・キリストを自分の救い主として信じて、心に受け入れるならば、神は、恵みによってその人を罪から救い出してご自分の子どもとしてくださいます。それが、聖書の語る「救い」です。その「救い」は、ユダヤ人から始まって、すべての国民、民族へともたらされていきました。そうしてやがて、日本にも福音が宣べ伝えられ、私たちにも届けられたのです。改めて、神様のご計画の壮大さを思わされます。

5)「~ねばならない」に縛られないこと
二つ目のことは、「「~ねばならない」という思いに縛られない」ということです。ペテロは、ユダヤ人としての価値観や常識に囚われていました。「こうあるべき」とか、「~ねばならない」という思いに縛られていたのです。私たちも案外、「ねばならない」という思いに縛られていることがあるかもしれません。「クリスチャンはこうあるべき」とか、「これを守らなければならない」という思いがどこかにないでしょうか。「ねばならない」という思いは、自分を縛ります。そうすると、だんだん喜べなくなってきます。そして、もっと深刻なことは、他人をも縛ってしまうことです。「ねばらない」を、他の人にも押し付けてしまうことです。そうなると、そうできない人のことをさばいてしまうわけですね。自分の価値観で他人をさばいてしまうことになります。
パウロは、ローマ人への手紙の中で、「信仰の弱い人を受け入れなさい。その意見をさばいてはいけません」と語っています(ローマ14:1)。人にはそれぞれ、自分が大切にしている考えや価値観があります。自分の価値観を人に押し付けて、さばくようなことがあってはいけないというのです。自分と違う考えを尊重し、受け入れていくことは、「人を愛すること」につながるのではないでしょうか。このことを心に留めて、「~ねばならない」という思いに縛られていないか、人を縛っていることはないか、祈りながら自分自身の姿を顧みていきたいと思います。

イエス様は、すべての人の救い主です。このことを覚えて、私たちにもたらされた「救い」の恵みに感謝をおささげしましょう。そして、私たちの周りにいる人たちの救いを祈ってまいりたいと思います。