主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

使徒9:1-20 「主よ、ここにおります」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「主が幻の中で「アナニヤよ」と言われたので、彼は「主よ、ここにおります」と答えた。」(使徒の働き9:10)

【礼拝メッセージ要旨】

今日の箇所には、サウロがイエスを信じて回心するという出来事が描かれています。神はこのサウロの救いのために、ある一人のクリスチャンを用いられました。

1)迫害者サウロ
サウロは、熱心なユダヤ教徒で、教会を迫害する急先鋒に立つような人物でした。彼は、神に対して熱心に忠実に仕えていました。その熱心さのゆえに、イエスを憎み、教会を迫害していたのです。

2)倒されるサウロ
サウロがイエスの弟子たちを追ってダマスコの町に向かう途中、突然、天からのまばゆい光が彼を照らして、地面に倒されてしまいます。「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」それは彼が迫害していたイエスの声でした。イエスはサウロに、自分の姿に気づかせようとして、その心に働きかけたのではないでしょうか。
サウロの計画は頓挫します。彼は盲目にされ、ダマスコの町に連れて行かれて、そこで三日間飲み食いもせずに過ごします。この時、サウロは神様の深いお取り扱いを受けたと思います。この世の一切のものからシャットアウトされて、ただ神様だけを見つめて、祈りを通して、神様と深い交わりをもつことできたのです。それは彼にとって大きな恵みの時となりました。この三日間を通して、彼は自分の姿に気づかされ、イエスこそが救い主であることが分かって、悔い改めへと導かれていったのではないでしょうか。
私たちにとってもそういう時間は必要です。一人主の前に出て、思いを向けるひと時を大切にしたいと思います。

3)アナニヤとの出会い
ダマスコの町には、アナニヤというイエスの弟子がいました。主はアナニヤに語り掛け、彼は「主よ、ここにおります」と答えます。アナニヤは告げられた通り、恐れずにサウロを訪ね、「兄弟サウロ」と呼び掛けて、彼のために祈りました。主は、サウロの救いのために無名のクリスチャンであったアナニヤを用いたのです。

4)サウロの救い
その時、サウロの目から「ウロコのような物」が落ちて、目が見えるようになります。それまでの三日間の神様の取り扱いとアナニヤの関わりによって、彼のかたくなだった心は完全に溶かされて、イエスが神であり昔から約束されて来た救い主であることがハッキリと分かりました。サウロは、イエスを自分の救い主として心に迎え入れたのです。ここに、「クリスチャンサウロ」が誕生しました。彼は、今度はイエスを人々に宣べ伝える者として、ただちに働きを開始します。180度の人生の大転換でした。

5)神様は人を用いてみわざをなさる
最後に、今日の箇所から教えられることとして、3点確認したいと思います。第一点目は、「神様は人を用いてみわざをなさる」ということです。神様は、無名のアナニヤを用いてサウロを救いへと導き、そのサウロを福音宣教のために大きく用いました。神様は私たちのことをも用いてくださいます。家庭や職場、地域そして教会で、私たちにできることを祈り求めていきたいと思います。

6)主の召しに応答する
第二点目のことは、「主の召しに応答する」ということです。アナニヤは主に呼ばれた時に、「主よ、ここにおります」と即座に応答しました。彼は、主の御声を聞き逃しませんでした。いつでも主の御声に聞き従う備えができていたからです。この姿勢にならいたいと思います。

7)人との関わりを大切にする
第三点目のことは、「人との関わりを大切にする」ということです。神様はあえて人を用います。人には人の助け(関わり)が必要だからです。サウロは、アナニヤが「兄弟サウロ」と呼びかけ、手を置いて祈ってくれたことで、どんなにか安心したのではないでしょうか。アナニヤはサウロに親身になって関わりました。それは、クリスチャンとして誕生したばかりのサウロにとって、どんなにか心強いことであったと思います。
私たちも、これまでいろんな人たちとの出会いがあって、心配し、関わってくださった人たちがいたからこそ、今の自分があるのではないでしょうか。そうした関わりが与えられたことを覚えて、感謝をおささげしたいと思います。私たちの周りにも、関わりを必要としている人たちがいるかもしれません。挨拶を交わしたり、声をかけたり、そんな小さなことでもいいと思うのです。周りにいる人たちのために祈りながら、関わりを大切にしていきたいと思います。

神様は、私たちを必要としておられます。私たちも、イエス様の招きに「主よ、ここにおります」と答えて、お従いしてまいりましょう。