主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

イザヤ書53:10-12, ヨハネ20:1-10 「救い主は今も生きて」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「したがってイエスは、いつも生きていて、彼らのためにとりなしをしておられるので、ご自分によって神に近づく人々を完全に救うことがおできになります。」(ヘブル7:25)

【礼拝メッセージ要旨】

「キリストのよみがえり」は、キリスト教信仰にとって最も重要な教えの一つとされています。神はなぜ、イエスを死からよみがえらせたのでしょうか。そのことは私たちにとってどんな意味があるのでしょうか。

1)イエスはよみがえられた
聖書は、イエスが十字架で死なれて三日目の朝によみがえられた事実を記録しています。イエスは金曜日の日没までにアリマタヤのヨセフの墓に葬られましたが、日曜の朝早く墓を訪ねた女性たちによって、墓の中が空であったことが明るみにされます。そこに駆け付けた弟子たちは、それ見て「信じ」ました。その後、イエスはマグダラのマリヤに現われ、弟子たちの前に現われて、ご自身が生きていることをお示しになられました。
この事実は何を表わしているでしょうか。一つは、「イエスは完全な人であり、完全な神である」ということです。イエスが前もって予告していた通り体をもってよみがえられたことによって、イエスがただの人ではないことが証明されました。そしてもう一つのことは、「イエスは死に打ち勝たれた」ということです。ローマ5章には、最初の人アダムが罪を犯したことによって世界に罪が入り、その罪に対する神のさばきとして死がもたらされたと記されています。人は誰も、「死」を免れることはできません。しかしイエスは、その死を打ち破ってよみがえりました。それまで人を支配してきた「罪と死」に勝利されたのです。

2)イエスの復活によって私たちにもたらされたこと
それでは、イエスが死からよみがえられたことは私たちとどんな関係があるのでしょうか。次に、イザヤ書53章から、イエスの復活によって私たちにもたらされたことについて確認をしたいと思います。イザヤ書53章には救い主が人々の罪を代わりに負って苦しみを受けている、そんな姿が描かれています。確かにこれは、イザヤの時代から700年後に実際に起こった、イエスの十字架の出来事を預言したことばであったことが分かります。しかしここには、イエスのよみがえりのことも預言されています。「彼は末長く、子孫を見ることができ」(10) ここに彼が永遠に生きて、子孫を見ることが示されています。さらに11節と12節には、イエスがよみがえられたことの意味が表わされていると思います。特に2つのことに目を留めたいと思います。

3)私たちが義とされるために
一つは、「私たちが義とされるために」ということです。「その知識によって多くの人を義とし」(11) 「義とする」とは、神が人を「正しい」(あなたには罪はない)と認めてくださることです。本来、神の前に正しいとされる人は誰一人いません。しかし、イエスの十字架の贖いのゆえに神は正しいと認めてくださるというのです。但し、残念ながらすべての人が自動的に正しい(義)とされるのではありません。「その知識によって」(11) 救い主イエス様は、私たち一人一人のことを知っておられます。そして私たちを救いたいと願われて、私たちの罪を負って十字架でご自身をささげられました。この十字架の救いを私たちが自分のものとするためには、私たちが救い主イエスのことを知る必要があります。それは、ただ知識として知るということではありません。「イエス様は、この私の罪のために確かに死んでくださったのだ」と、心から同意し告白して、イエスを信じることです。神様が私たちに与えてくださった救いの道を、感謝して受け取ることです。そして、イエス様とともに、その道を一生涯かけて歩んで行くことを決意することです。この神の恵みに一人一人が応答して、受け取る必要があるのです。「多くの人」とは、時代も空間も越えたすべての人のことを指しています。そうした多くの人を義とし、彼らの咎をにない続けるために、イエス様は永遠に生きて働いておられます。イエス様は、私たちが義と認められるためによみがえられたのです(ローマ4:25)。

4)私たちをとりなすために
もう一つのことは、「私たちをとりなすために」ということです。「彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする」(12) 「とりなす」とは、神と人との間に立って人の赦しを神に取り持つことです。イエスは十字架の上で、自分を十字架につけた人々のためにとりなしをされました。イエス様はよみがえられて、今も生きて、私たちのためにとりなしておられます(ヘブル7:25)。一人でも多くの人が、神を知り、救い主イエスに出会って、十字架の救いを受け取ることができるように。また、弱い私たちが困難の中でもイエスに信頼して歩み続けられるように。イエス様は、いつも私たちのそばに寄り添って、私たちの人生の道を一緒に歩んでくださいます。

このイエス様のもとに行く時に、神様が用意してくださった救いを自分のものとして受け取ることができるのです。ここに、私たちの救いの保証と、確かな希望があります。神様は、これほどまでに大きなことを私たちためになしてくださいました。このイースターに現わされた神様の恵みを覚えて、心からの感謝をおささげしたいと思います。そして、今も生きて働いておられる救い主イエス様に信頼しながら、イエス様とともに、人生の道を歩んでまいりましょう。