主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

ヨハネ6:4-13「小さな一歩から」    齋藤牧師

【礼拝メッセージ要旨】

今日は、子ども祝福式に関連して、「5,000人の給食」として知られているこの箇所から開きました。

1)イエスを求める人々
イエス様に病気を治してもらいたいと、ワラにもすがる思いで大勢の人たちがイエス様のあとをついてきました。その数、男だけで5,000人とあります(女性や子供たちも入れると2万人位はいたと思われます)。イエス様は、人々を深く憐れみ、病気を治し、彼らに語り掛けました。

2)イエスの問いかけ
やがて日が暮れてきて、弟子たちが心配になり、群衆を解散させてそれぞれに食事をさせるようにとイエス様に提案します。しかしイエス様は、「あなたがたで人々に食べさせなさい」と言われました。弟子たちに「あなたはどうするか?」と問われたのです。ピリポは、「200デナリのパンでは足りません」と答えます。もちろん、そんな大金はありませんので、「そんなことは到底無理です」と言いたかったようです。
アンデレは、「ここに少年が大麦のパンを5つと小さい魚を2匹持っています。しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう。」と言いました。それは、この少年が持参したお弁当だったのかもしれません。少年はそれを「どうぞこれを使ってください」と弟子たちの前に差し出したのでしょう。しかしアンデレは、「たったこれだけでは何の役にも立たない」(これしかない)と考えたようです。弟子たちは現状を見て、「それは不可能だ」と最初からあきらめていました。これまでイエス様に付き従ってきて、数々に奇跡を目にしてきたにもかかわらず、イエス様に委ねることをしないで、それは無理だと決めつけていたのです。私たちも、彼らのように目の前の現実を見て、「これしかない」、「これは無理だ」と、何もしないうちからあきらめてしまっていることはないでしょうか。

3)あり余る祝福
一方、この少年は、自分の持っているものを喜んで差し出しました。ただイエス様に喜んでもらいたいという、その一心でささげたのだと思います。確かに彼の差し出したものは、ほんのわずかなものだったかもしれません。しかしイエス様は、それをお受け取りになって、何倍にも祝福されました。イエス様は、そのパンを取って、天を見上げて、感謝をささげて裂いて、人々に渡していかれました。そうしてそこにいた全員が十分に食べて、さらに12のかご一杯に余ったのです。

4)いのちのパン
この出来事は、私たちにどんなことを教えているでしょうか。2つのことを確認したいと思います。
一つは、「イエス様は私たちの本当の必要を満たしてくださる」ということです。イエス様は、私たちの肉体的な必要を満たすためのパン(日ごとの糧)を十分に与えてくださいました。それだけでなく、私たちの魂を養う食物も与えてくださいます。ヨハネ6章の後半で、イエス様は「いのちのパン」について教えています。イエス様は、私たちに永遠のいのちを与える「いのちのパン」となって私たちのところに来てくださいました。この出来事は、そのことを目に見える形で教えてくださったように思います。

5)小さな一歩から
もう一つのことは、「イエス様は私たちが喜んで差し出すものを大いに祝福してくださる」ということです。自分の小さなお弁当を喜んで差し出したあの少年の姿に、とても励まされる思いがします。このことは、私たちが今自分に与えられているものを喜んで神様にささげていく時に、神様はそれを豊かに祝福してくださる、ということを教えているように思います。私たちに与えられているものは、ほんのわずかかもしれません。それでも、その「自分に与えられているわずかなもの」、「自分にできる小さなこと」を喜んで差し出していく時に、神様は、私たちの思いを越えて、大きく用いてくださるのではないでしょうか。「これしかない」と嘆くのではなく、「今、自分にはこんなにも与えられているではないか」ということに、まず目を留めたいと思います。そして感謝をもって、イエス様に信頼して、私たちにできる「小さな一歩」を踏み出していきたいと思うのです。
12月にアフガニスタンで凶弾に倒れた中村哲医師は、「今いる場所で、自分にできることを一生懸命にやる」ということを大事にし、いつも行動で示していかれました。そうして35年間に渡るパキスタンとアフガニスタンでの医療支援と専門外の用水路建設という大事業を成し遂げたのです。神様は、その働きを大いに祝福してくださいました。

私たちも、イエス様に信頼しながら、喜んで、私たちにできる小さなことをささげてまいりたいと思います。