主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

ルカ2:8-20「クリスマス、愛の贈り物」    齋藤牧師

【礼拝メッセージ要旨】

今日の箇所には、イエス・キリストがお生まれになった時に、そのことが御使いによって、真っ先に野宿で夜番をしていた羊飼いたちに知らされた、という出来事が描かれています。

1)羊飼いたちへの知らせ
当時、羊飼いたちの社会的な立場はとても低いものでした。仕事柄、人々が大切にしていた神様への礼拝を守ることは難しく、遊牧生活のために町の人々との交流もあまりなかったようです。当時ユダヤを支配していたローマ政府も、遊牧民は住民登録の対象外としていたようです。そのために、彼らは人々からさげすまれていました。彼ら自身もそのことがよく分かっていて、神様の祝福などというものは、自分たちには関係のないことだと思っていたのかもしれません。そんな羊飼いたちに、神様は、人々が昔から待ち望んでいた救い主が来られたことを最初にお知らせになりました。
御使いは彼らに、この日、ダビデの町(ベツレヘム)で「救い主」が生まれたことを告げ(11)、その救い主は「みどりご」で、「飼い葉おけ」に寝かされていること(12)を知らせました。この「救い主」は、スーパーヒーローのような存在とは程遠い、「人間の赤ちゃん」であり、しかも、「飼い葉おけ」に寝かされているというのです。そして、この「しるし」を頼りに救い主を捜しに行きなさい、と告げられました。

2)救い主を捜しに
この知らせを聞いて、羊飼いたちは救い主を捜しにベツレヘムの町に出かけます。「急いで行った」居てもたってもいられなかったようです。「救い主に会いたい」、その一心で出かけたのだと思います。彼らは、人々からさげすまれ、礼拝にも行けないような自分たちに、こんなにすばらしい知らせが知らされたことに驚いたことでしょう。大事な羊を野原に残して、ベツレヘムの町を一軒一軒訪ね歩いたことと思います。そうしてついに、「飼い葉おけの救い主」を捜し当てます。彼らはイエス様にお会いして、心から喜びました(20)。それは、それまで味わったことのないような大きな喜びであったと思います。神様に覚えられている、愛されている、そんな何物にも代えられないような大きな喜びだったのではないでしょうか。

3)神様の愛の贈り物
この出来事は、ただ単に、2000年前の遠い異国の地で起こった昔の話ではありません。今、ここに生きている私たちにも関係のあることです。神様は、この「救い主」を私たちのために与えてくださいました。11節にある「あなたがた」には、私たち一人一人も含まれているのです。
救い主の誕生は、誰からも顧みられないような貧しい羊飼いたちに、粗末な飼い葉おけに寝かされた救い主として知らされました。それは、神様がすべての人にこの知らせを届けたいと願われたからであったと思います。家畜小屋だったからこそ、貧しい羊飼いたちもそこに入ることができたのではないでしょうか。見方を変えれば、神様が本当に低くなって、人間の世界の最も貧しいところへ降りてきてくださった、ということです。それは、最も貧しい者にも、神から離れている人たちにも、この「良い知らせ」を届けるためでした。私たちも、その中の一人です。救い主イエス様は、私たちのところにも来てくださいました。それがクリスマスです。
ヨハネ3:16には、そんな神様の私たちに対する熱い思いが現わされています。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された」、「世」とあるところに自分の名前を入れることができます。何と感謝なことでしょう!神様は、神のひとり子イエス・キリストを、人としてこの世界に遣わしてくださったほどに「あなた」のことを愛しておられます。イエス様は神様ご自身であり、神様の愛するひとり子です。その神様にとって最も大切なものを、神様は差し出してくださいました。私たちが神様につながって、「永遠のいのち」を持つことができるようにと、神様は愛するひとり子をお与えになったのです。神様は、こんなにもすばらしいプレゼント、愛の贈り物を私たちに与えてくださいました。
私たちは、このすばらしい神様からの愛の贈り物を受け取る必要があります。せっかくの神様からの贈り物も、「イエス様、お誕生日おめでとう」で終わってしまっては意味がありません。私たちが自分のものとして受け取ることを、神様は願っておられます。

この神様からの愛の贈り物は、すべての人の前に差し出されています。あとは、両手を広げて受け取るだけです。感謝をもって、救い主イエス様を心にお迎えしたいと思います。そして、神様とともに、本当の喜びの人生を歩んでまいりましょう。