主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

ルカ2:1-7「救い主は飼い葉おけに」    齋藤牧師

【礼拝メッセージ要旨】

今、世の中は、コロナ禍の中に置かれています。それでも世界中でクリスマスがお祝いされています。どうしてクリスマスはこれほど特別な時となったのでしょうか。

1)世界で最初のクリスマス
世界で最初のクリスマスは、決して華やかではない、静かな、でもとても温かなクリスマスでした。今日の箇所には、マリヤが出産を迎えた時の出来事が描かれています。何もなければ、ガリラヤのナザレという小さな町で平穏に出産を迎えるはずが、ローマ皇帝の命令により、住民登録のために急遽ヨセフの先祖の町ベツレヘムに夫婦で向かうことになります。ナザレからベツレヘムまで130キロほどの道中は、身重のマリヤには相当こたえたでしょう。ようやくたどり着いたと思いきや、今度は泊まる宿が見つかりません。何とかあてがわれたところが、何と「家畜小屋」でした。妊婦さんが出産を迎えるには劣悪な環境でした。マリヤはそこで無事男の子を産みます。生まれたばかりのイエス様は、ベッドの代わりに「飼い葉おけ」に寝かされました。「宿屋には彼らのいる場所がなかったからである」(7)ユダヤの人々が待ち望んでいたこの国を永遠に治める王となるお方であり、救い主であるお方が、肝心のユダヤの人々にほとんど知られることなく、歓迎されることもなく生まれてきたのです。スーパーヒーローのようにさっそうと登場したのでもなく、王子様として王宮に生まれたのでもありません。神の御子であり、イスラエルの王となるお方がこの世界に登場するにしては、あまりにも地味で、あまりにも貧しい登場の仕方のように思えます。神様は、愛するひとり子イエス様を、田舎の無名の若いカップルに託して彼らの子どもとしてお与えになりました。無限の、全能の神様が、限界のある人間として、しかも全く無力な赤ん坊として生まれてきた、というのです。神様はどうして救い主イエス様をこのような方法でこの世界に遣わされたのでしょうか。

2)主は貧しくなられた
そのことの意味が、Ⅱコリント8:9に言い表されていると思います。このところから、大事なこととして2つのことを確認したいと思います。一つは、「イエス様は、私たちのために貧しくなられた」ということです。主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました」主が「富んでおられた」とは、イエス様が神として神の栄光を持っておられたということです。その富んでおられるお方が「貧しくなられた」とは、どういうことでしょうか。本来神様が持っておられたものを手放された、ということです。ピリピ2:6~8には、キリストが貧しくなれられたとはどういうことだったのか、よく表されています。イエス様は、神であられるお方なのに、そのあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして(神として特権を主張されないで)、人に仕える者となって、人間と同じようになられました。イエス様は、神としての特権を手放して、本当に低くなって、私たちのところに来てくださったのです。それは、私たちを罪から救い出すためでありました。イエス様は、人としての人生を歩まれ、人々に寄り添い、愛を示し、人に仕える者となってくださいました。そして最後は、人々のねたみや憎しみを受けて十字架で死なれました。それは、すべての人の罪を引き受けて、代わりに人の罪の償いをされた、ということです。もし、イエス様が人となって来てくださらなかったら、私たちは神様の愛を知ることができなかったでしょう。イエス様は、私たちのために貧しくなられました。

3)私たちは富む者とされた
もう一つのことは、「イエス様が貧しくなられたことで、私たちは富む者とされた」ということです。「それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです」私たちが「富む者」とされる、というんですね。それは、お金持ちになることではありません。でも、お金よりもはるかに価値あるものを受ける、ということを意味しています。それは、「永遠のいのち」です。イエス様が私の罪ために十字架で死んでよみがえってくださったことを信じて、神様に罪を赦していただくことです。そして、それまで離れていた神様との関係を回復することです。神様につながって、いつまでも神様とともに生きるものとされることを、聖書は「永遠のいのち」と言っています。それは、世の富よりも、どんな名誉を受けることよりも、はるかにすばらしいことです。キリストの貧しさによって、私たちは富む者とされたのです。

神様は、これほどまでに私たちを愛しておられます。この神様の大きな愛を覚えて、心からの感謝をもって、クリスマスをお迎えしたいと思います。