主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

創世記16:1-16「苦しみは聞かれている」    齋藤牧師

【礼拝メッセージ要旨】

今日の箇所には、アブラム夫婦の他にもう一人、ハガルという女性が出てきます。今日は特に、このハガルに対して神様がなされたお取り扱いのところから思いを巡らしたいと思います。

1)サライの提案
神様は、「あなた自身から世継ぎの子が生まれる。あなたの子孫は星の数のようになる。」(15:4,5)とアブラムに約束を与えられましたが、実際にはアブラム夫婦にはまだ子どもが与えられていませんでした。サライにとって子どもを産めないということは、とても辛く苦しいことでありました。何とかして夫の期待に応えたい、子どもの母になりたいという強い願いから、彼女は夫にある提案をします。それは、自分の女奴隷のハガルによって自分の子どもをもうけるというものでした。当時その地域では、夫の家系を絶やさないために普通になされていたことのようです。アブラムはその提案を受け入れます。しかしそれは、神の御心に反することでした。神がアブラムに与えた妻は、あくまでもサライだったからです。彼らは神様の約束を信じて待つべきでしたが、待つことができずに自分たちの力で主の約束を実現しようとしたのです。彼らは自分たちの願いを「これが主の御心だ」と思い込んで、自分たちの思いで判断し行動してしまいました。私たちも同じような失敗をしてしまうことがあるように思います。

2)ハガルの苦しみ
やがてハガルはアブラムの子を身ごもります。ところが彼女は自分の女主人のサライを見下げるようになりました。一夫多妻の罪がもたらした悲劇です。サライはたまらずにアブラムに不満をぶつけ、アブラムはハガルをサライの好きなようにさせることを許します。サライはハガルに辛く当たり、ハガルはついにそのいじめに耐え切れずに主人のサライのもとから逃げ出してしまいます。
この時のハガルの苦しみは想像を絶するものであったと思われます。奴隷として遠いエジプトから連れて来られ、主人の都合で妊娠させられ、挙句の果てに主人からいじめられ追い出されたようなものです。彼女には行く当てもありません。彼女とお腹の子のことを心配してくれる人は誰もいません。天涯孤独の独りぼっちになって、不安と恐れで途方にくれていたのではないでしょうか。

3)ハガルへの主のお取り扱い
そんな心細い思いをしていたハガルに、神様は目を留められました。主は彼女の苦しみに寄り添われ、深い愛によって取り扱ってくださいました。主の使いによって彼女を捜し求め(7)、ハガルに語り掛けられました(8)。当時奴隷は主人の所有物とみなされ、社会で最も低い身分にありました。誰にも顧みられないような小さな者です。そのエジプト人の女奴隷であったハガルに神様が目を留められたのです。神様の深い憐れみを感じます。さらに、神様は彼女を祝福されました(10)。「あなたの子孫を大いにふやす」何と、アブラムに与えられたのと同じ祝福の約束が女奴隷のハガルにも与えられたのです。そして、生まれてくる子どもを「イシュマエル」(神は聞いておられる)と名付けなさいと告げます。神様はハガルの苦しみを聞いておられました。一人で悩み苦しんでいたハガルの心の中の叫びを聞いてくださっていたのです。ハガルはこの神様の深い愛と憐れみを知り、どんなに安心したでしょう。神様は、私たちの苦しい思いも分かっておられて、心の声を聞いてくださるお方です。誰にも分かってもらえないような苦しみも主は聞いておられます。それは本当に大きな慰めであり、励ましです。

4)信仰によって応答する
ハガルは神様からのそんな深いお取り扱いを受けて、主の名を「エル・ロイ」(ご覧になる神)と呼びました。神様の呼びかけに信仰によって応答しました。
神様はいつも私たちをご覧になっておられ、十字架の愛で私たちに寄り添ってくださいます。この神様の大きな愛を感謝をもって受け取りたいと思います。そしてこれからも、このお方に信頼し、信仰によって応えてまいりましょう。