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マルコの福音書11:20-25 「山をも動かす祈り」 齋藤牧師
【今週のみことば】
「あなたがたが祈り求めるものは何でも、すでに得たと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」(マルコ11:24)
【礼拝メッセージ要旨】
イエスがエルサレムで「宮きよめ」をなされたその翌朝、イエスは一本の「枯れたいちじくの木」に関連して、「祈り」について教えられました。
1)枯れたいちじくの木
イエスが「宮きよめ」をなされたその翌朝、前日に目を留めて、葉だけで実をつけていないことを嘆かれたあのいちじくの木の前を一行が通りかかると、その木は根元から枯れていました。それは悔い改めないイスラエルの将来を象徴していました。それを見つけたペテロは驚いて「あなたがのろわれたいちじくの木が枯れています」とイエスに告げます。
2)信じて祈ればそのとおりになる?
それに対してイエスは「神を信じなさい」と告げて、山が海に入るように命じることを例に挙げ、心の中で疑わずにそうなると信じて祈ればそのとおりになるのだと言われました(22,23)。ここでイエスは、「わたしがあのいちじくを一日で枯らしたように、あなたがたも信じて祈るならば、山をも動かすこともできるのだよ」と、「祈りの力」について教えているように思えます。これは、「神を信じて祈るならば、何でもそのとおりになる」と言っているのでしょうか。もし、人々が自分の都合の良いように自分本位の祈りをしたとしてもすべてかなえられるとしたら、世の中は大変なことになってしまいます。祈りについて聖書全体が教えていることは、①悪い動機で求めるならばそれは得られない(神はそれをお与えにならない)(ヤコブ4;3)、②神のみこころに従って願うならば神は聞いてくださる(ヨハネⅠ5:14)、ということです。イエスはこの前提で教えておられます。決して、自分本位で利己的な祈りであっても聞かれると教えているのではありません。では、イエスはここで何を教えようとされたのでしょうか。
3)神を信じて祈る
まず目を留めたいことは、「神を信じて祈る」ということです。イエスは、まず「神を信じなさい」(神への信仰を持ちなさい)と言われました(22)。「神を信じて祈る」とは、このように言えると思います。
①第一に、「神に不可能なことはないと信じる」ことです。
②第二に、「神は私たちに良いものを与えてくださると信じる」ことです。祈りの結果与えられるものは、神の目から見て、私たちにとって「良いもの」なのです。そのことを信じて受け取ることです。
③そして第三に、「神にすべてをゆだねる」ことです。私たちは神様のみ思いを理解できないこともあります。それでも、生まれたばかりの赤ちゃんがお母さんを信頼して身をゆだねるように、神を信頼して一切をゆだねて、祈りの結果を受け入れることです。イエスも、ゲツセマネの園で父なる神に対して「ゆだねる祈り」をささげました。
4) 山をも動かす祈り
次に目を留めたいことは「山をも動かす祈り」ということです。「この山に向かって「立ち上がって、海に入れ」と言い、心の中で疑わずに、自分の言ったとおりになると信じる者には、そのとおりになります。」(23) これは、神を信じて祈れば「山をも動かすことが出来る」と言っておられるのでしょうか。しかし実際には、私たちが祈って山が動くということはありません。それでも、私たちはいつも「この山を動かしてください」と祈っていると言えると思います。「山」と言っても、実際の山のことではなくて、自分にとって「山」のように見えるもののことです。突然の病や家族の問題、将来の不安、人間関係の悩み、経済的な問題など、自分の力ではどうすることもできない「山」のような困難や問題を「動かして」ください(取り去ってください)と、私たちは祈り求めているように思います。イエスはそんな私たちの心もご存じで、そのために「神を信じて祈りなさい」と言っておられます。そして、その祈りに答えて、その「山」を動かしてくださると思うのです。
5)人を赦すこと
では、神はどのようにして私たちの祈りを聞いてくださるのでしょうか。「山が動く」とは、どういうことなのでしょう。イエスはこの教えの最後に、「人を赦す」ことについて教えています。祈りをささげているときに、誰かを恨んでいる(赦せないでいる)ことに気づいたら、すぐに「赦しなさい」というのです(25)。イエスは、「祈ること」と「人を赦すこと」をセットで教えておられます(主の祈りにもあるように)。「人を赦す」ということは難しいことです。自分の努力ではなかなかできないことです。まさに、動かせない「大きな山」のようなものと言えるのかもしれません。それでも、そんな大きな山をもイエスは動かしてくださいます。イエスは「私たちの心を変える」ことができるのです。私たちが「あの人を心から赦せるようにしてください」と祈り続けるならば、人を赦せるように、私たちの心が少しずつ変えられていくのではないでしょうか。それが「祈りの力」、「山をも動かす祈り」です。
そのように、どうしても動かせない「山」と思えているもの、それは、私たちの外にあるのではなくて、実は私たちの心の中あると言えるのかもしれません。神を信じて祈ることによって、イエス様は私たちの中にある「山」を動かし、取り除けてくださって、その困難や問題を受け入れられるようにしてくださるのではないでしょうか。
イエス様ご自身も、あのゲツセマネの園でその祈りを体験されました(ルカ22:42)。イエス様にとって、大きな「山」であった「十字架」は取り去られませんでした。しかしこの祈りによって、人としてのイエス様は、十字架を受け入れる決意をすることができたのだと思います。そして、自ら十字架に向かっていかれたのです。
神を信じて、山のようにかたくなな私たちの心が変えられるように祈り続けてまいりましょう。そして、心から人を赦せる者となりたいと思います。