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マルコの福音書15:16-32 「痛みを知る人」 齋藤牧師
【今週のみことば】
「彼は蔑まれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で、病を知っていた。人が顔を背けるほど蔑まれ、私たちも彼を尊ばなかった。」(イザヤ書53:3)
【礼拝メッセージ要旨】
今日の箇所には、イエスが十字架につけられる場面が描かれています。イエスは十字架で、どのような苦しみを受けられたのでしょうか。
1)ヴィア・ドロローサ ~悲しみの道~
イエスは、エルサレムの神殿の北東角にあった「アントニア要塞」から自分がつけられることになる十字架を背負わされて、刑場のある「ゴルゴダ」まで歩かされました。今もエルサレムの町では、イエスが十字架を背負って歩んだとされている道が、「ヴィア・ドロローサ」(悲しみの道)と呼ばれる「巡礼地」となっていて、世界中から多くの人々が訪れています。そこでイエスの身にどんなことが起こったでしょうか。イエスはまずむちで打たれ、紫の衣と茨の冠をつけられて、ローマ兵たちのからかいを受けました(17~19)。イエスは、同胞のユダヤ人たちから敵意を向けられただけでなく、異邦人であるローマ兵たちからもからかわれ、あざけりを受けたのです。
2)クレネ人シモン
イエスは重い十字架を背負わされ、さらしものとされながら、ゴルゴダへの道を歩かされますが、途中で倒れてしまったようです。そこに「クレネ人シモン」が通りかかって、イエスに代わって十字架を背負わされることになります。彼にしてみればとんだ災難です。その重みに耐えながら、ひょっとしたらこのまま自分がこの十字架につけられてしまうのではないかと、恐怖を感じたのではないでしょうか。彼は十字架をリアルに体験しました。ところで、ここに彼の息子たちの名前が記されています。「彼はアレクサンドロとルフォスの父で」(21) この「ルフォス」という人は、ローマ16:13でパウロが挨拶を送っている人物のようです。彼はクリスチャンとなって、パウロの同労者となりました。ということは、シモンはこのあとイエスを信じて、彼の家族もクリスチャンとなったと考えられます。「災難」どころか、この出来事を通して、彼と彼の家族に「救いの恵み」がもたらされたのです。
3)十字架刑
ローマ兵は、イエスに「没薬を混ぜたぶどう酒」を与えようとしました。これは、死刑囚の苦しみを和らげるために与えられたようです。しかしイエスはそれを拒みました。イエスは、十字架の苦しみを逃げることなく、自ら進んで、まっすぐに受けようとされたのです。
「それから、彼らはイエスを十字架につけた」(24) イエスはどのように十字架につけられたのでしょうか。まず十字架の上に寝かされて、手足に太い釘が打ち込まれます。手首の骨と骨の間とかかとの骨に打ち込まれたようです。想像を絶する痛みと苦しみであったはずです。さらに、その十字架が立てられて、下の部分が掘った穴にストンと落されたときに全体重が手足にかかります。しかし、これですぐに絶命するのでありません。息をするために体を持ち上げるたびに痛みを受けたようです。そうして長い時間をかけて苦しみながら、最後は体を持ち上げることもできなくなり、呼吸が出来なくなって窒息死するのだそうです。苦痛の多い、非常に残酷な処刑方法でした。イエスは十字架の上で、6時間に渡ってこの苦しみを耐え忍ばれたのです。
イエスの頭のところには、「ユダヤ人の王」と書かれた「罪状書き」が掲げられました。しかしこれを見た祭司長たちは、「この者はユダヤ人の王と自称したと書いてください」と願い出ました。ピラトはそれを拒否しましたが、このことは、イエスがユダヤ人の真の王となられたことを示しているのではないでしょうか。
4)あざけられるイエスと2人の強盗
十字架につけられ苦しんでいるイエスを見て、通りかかった人たちやイエスを憎んでいた宗教指導者たちは「十字架から降りて来て、自分を救ってみろ。」と言ってイエスをののしり、あざけりました。そんな彼らを、イエスはどのような思いで見ていたでしょうか。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」(ルカ23:34) 何とイエスは、自分を十字架につけた者たちのために、彼らの赦しを父なる神に願い求めました。十字架の苦しみを受けながらも、人々の罪の赦しを祈られたのです。イエス様は今も、弱い私たちのためにとりなしてくださっています。
このときイエスと一緒に、右と左に2人の強盗が十字架につけられました。イエスの祈りの言葉が彼らにも聞こえていたのかもしれません。一人はイエスをののしりましたが、もう一人の方はそれをたしなめて、自分の罪を告白し、「あなたが御国に入られるときには、私を思い出してください。」とイエスに救いを求めました。イエスは彼に救いを約束されました。何と彼は、息を引き取る間際にイエスを信じて救われたのです。
5)痛みを知る人
このようにイエスは、十字架を負わされ、その十字架につけられて多くの苦しみを受けられました。人から理解されない苦しみ、裏切られる苦しみ、そして肉体的な苦しみも、すべてご自身で味わわれたのです。「彼は蔑まれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で、病を知っていた。」(イザヤ53:3)イエスの来られる 700年前に預言者イザヤを通して預言されたこのことばに、将来来られるメシアの姿が表わされています。これはまさにイエスの姿でした。「悲しみの人」のところは「痛みを知る人」とも訳されます。これは、イエスがすべての人が経験する痛み、苦しみ、悲しみもすべてご自身のこととして経験され、知っておられるということを意味していると思います。イエスが十字架で自ら苦しみを受けられたからこそ、イエスはすべての人の苦しみを知っておられる、つまり、私たちの受けるすべての痛み、苦しみを分かってくださり、同情してくださるのです(ヘブル2:18,4:15)。
イエス様はあの十字架で、私たちの罪を負って、苦しみを受けてくださいました。ご自身が苦しまれたからこそ、イエス様は私たちの経験するすべての痛み、苦しみを知っておられます。この十字架の恵みを覚えて、心からの感謝をおささげいたしましょう。