主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

マルコの福音書10:13-16 「子どもたちをイエスのもとに」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。邪魔してはいけません。神の国はこのような者たちのものなのです。」(マルコの福音書10:14)

【礼拝メッセージ要旨】

今日は、この教会が設立当初から行ってきた幼稚園の働きに関連して、マルコ10章より、イエスのもとに子どもたちが連れてこられたという出来事から学びたいと思います。

1)子どもたちを拒む弟子たち
イエスの教えを聞こうと大勢の人々が集まっていた時、ある人々が子どもたちを連れて来ました。ところが、それを見たイエスの弟子たちは、彼らを叱りつけ、追い返そうとします。弟子たちの中には、「ここは子どもたちの来るところではない」という思い込み(先入観)が、確かにあったようです。子どもたちはこの場にはふさわしくない存在、邪魔な存在だと、弟子たちは決めつけていたのです。私たちも、自分の価値観、それは見た目の印象であったり、人のうわさであったり、思い込み、そういうもので人を評価してしまう、ということはないでしょうか。気を付けなければならないことです。

2)子どもたちを祝福するイエス
そんな弟子たちに対して、イエスは「憤って」言われました。「子どもたちをわたしのところに来させなさい。邪魔してはいけません。神の国はこのような者たちのものなのです。」(14) そうして子どもたちを抱き上げて、彼らの上に手を置いて祝福されました。イエスは、この子どもたちも大切なひとりであって、邪魔者ではないと見ておられました。イエスは、すべての人を差別することなく受け入れてくださるお方です。イエス様は、私たちがどんなに欠けだらけでも、どんな過去があっても、私たちのことを愛しておられます。そして、イエス様を求める時、私たちを喜んで迎えてくださるのです。

3)「神の国」を受け入れる
この時イエスはこうも言われました。「子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。」(15) この出来事を通して、イエスは「子どものように神の国を受け入れなさい」と教えておられます。
では、「子どものように神の国を受け入れる」とは、どういうことを言っているのでしょうか。2つの点から考えてみたいと思います。まず一つ目のことは、「神の国とは「受け入れる」もの」ということです。「神の国に入る」とは、イエス・キリストを自分の救い主として信じる信仰によって、神様との関係に入れていただくことです。そして、その神の国は「受け入れるもの」であって、決して「自分の努力や行ないによって得るもの」ではありません。なぜならば、「救い」は、神様の恵みによって無条件で与えられるものだからです。私たちはそれを感謝して受け取ればいいのです。「救い」とは、神がすべての人に差し出している恵みを素直に「受け取る」こと、イエス・キリストの十字架の救いを、自分のものとして心に受け入れることなのです。

4)「子どものように」受け入れる
では、私たちはその救いの恵みをどのように受け入れることができるでしょうか。それは、「「子どものように」受け入れる」ということです。これが、2つ目のこととして確認したいことです。「子どものように」とは、どういうことを言っているのでしょう。これと対照的なのが、この個所のあとに登場する「一人の青年」の姿です。彼はお金持ちで、能力もあって、社会的地位もあるような人でした。しかも、ユダヤ人として、神の教えを子どもの頃からちゃんと守って来た立派な人です。「何でもできて」、「何でも持っている」人でした。「永遠のいのちを受け継ぐためには、何をしたらよいでしょうか」(17)彼は、「何かをすれば」永遠のいのちを得られると考えていました。永遠のいのちは、自分の良い行いによって得るものだと考えていたのです。しかし、いくら努力して神の戒めを忠実に守り、良い行いを積んでも、彼の心は満たされることはありませんでした。
それに対して、あの連れて来られた「子どもたち」はどうでしょう。何も持っていません。自分では何もできません。自分は小さくて、弱くて、無力なものだと分かっています。だからこそ、必死で親にすがりつきます。「子どものような者」とは、そういう人のことを指しています。自分の小ささ、弱さ、無力さを自覚している人です。自分の中には、頼れるもの、誇れるものは何もない。そのことが本当に分かってくる時に、一切を全能の神様に委ねることができるのです。そうした人こそ、神の国を受け入れることができるのだと、イエスは言われたのではないでしょうか。

 実は、私たちも、親の助けを必要とする子どものような存在であると、聖書は語っています。私たちは、本当に無力な、弱いものです。でも、そのことになかなか気づけないで、自分の力に頼って生きようといしている、神様に明け渡せないでいる、というのです。そんな私たちに、イエス様は、「わたしのところに来て、子どものように神の国を受け入れなさい。わたしを信じて救われなさい。」と語り掛けておられます。このことを心に留めて、イエス様の招きに答えて、「子どものように神の国を受け入れる者」となりたいと思います。

5)十文字教会とこひつじ
イエスは、「子どもたちを、私のところに来させなさい」と言われました。そのように、十文字教会も、設立の当初から特に「子どもたち」を招くという働きを大切にしてきました。1935年に、アメリカから二人の女性宣教師がこの地にやってきました。その一人が、この教会の創設者となったミルドレッド・クレイグ先生です。クレイグ先生はこの地で精力的に布教活動を行いますが、やがて戦争が始まり、帰国を余儀なくされます。しかし、戦後の1947年に「保守バプテスト」の宣教師として戻って来られました。そして多くの人々が子どものように福音を聞いて、イエス様を受け入れました。間もなくクレイグ先生は会堂の必要を祈り求めます。教会堂の建設と同時に幼稚園を始めることを当初から考えておられました。そうして、1949年に教会堂が完成し、日曜学校と無料託児所を始めたのです。その後、1953年に「こひつじ幼稚園」が発足しました。「子どもたちをイエスのもとに」という願いと祈りから、十文字教会とこひつじの働きが始まって、その働きは今に至るまで受け継がれています。76年に渡る歴史の中に、神様のあわれみと恵みが豊かに注がれてきました。この「こひつじの建学の精神」をこれからも大切にしながら、この地で教会と一緒に、イエス様の愛を子どもたちと地域の人々に伝えていきたいと思います。