主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

マルコの福音書5:21-43 「安心して行きなさい」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。苦しむことなく、健やかでいなさい。」(マルコの福音書5:34)

【礼拝メッセージ要旨】

今日の個所には、イエスが立場の違う二人の人の求めに応えて、いやしのみわざをなされたという出来事が描かれています。

1)ヤイロの願い
イエスの一行が船でこちら側の岸に戻ってくると、大勢の人々がイエスの帰りを待ち詫びていました。彼らはいろんな問題を抱えていて、イエスにその問題を解決してほしいと願っていたようです。そこに会堂司のヤイロという人がやってきます。彼も大きな問題を抱えていました。彼の小さい娘が死にかけていたというのです。ヤイロはイエスに自分の家に来ていただくことを願い出ます。イエスはその願いを聞き入れて、一行はヤイロの家に向かいます。

2)長血の女性のいやし
ヤイロの家に向かう途中、あとをついてきた大勢の群衆の中に一人の女性がいました。彼女は12年間長血をわずらっていて、医者からひどい目にあわされていました。彼女は病に苦しみ、貧しくなり、孤独を抱えて生きていたのです。ヤイロとは随分対照的な境遇です。「あの方の衣にでも触れれば、私は救われる」(28) 彼女はやっとの思いでイエスの衣に触れます。その時、長年苦しんできた出血が止まり、彼女は病気がいやされたことをからだに感じました。「誰がわたしの衣にさわったのですか」(30)一方、イエスは足を止めて、衣に触れた本人が自ら名乗り出ることを求めます。その女性は、もう隠し通せないと観念して、イエスの前に進み出ます。そして、イエスの前にひれ伏して真実をすべて話しました。彼女は、今の苦しい心の内もすべて、隠すことなく正直にイエスに打ち明けたのです。イエスにすべてを打ち明けて、彼女はどんなにか安心したのではないでしょうか。私たちも、イエス様にいつでも、どこでも、何でも相談することができるのです。誰よりも私たちのことを心配してくださっているこのお方に、私たちの心の内を打ち明けたいと思います。
この時、そこには大勢の町の人々もいました。イエスは、あえて彼女を人前に出させたのです。「娘よ。あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。」(34) イエスは、彼女がいやされたことを人々の前で宣言されました。彼女はいやされただけでなく、人との関係をも回復することができました。それは彼女にとって大きな喜びとなったはずです。

3)ヤイロの娘のいやし
そうしているうちに、ヤイロのもとに「あなたのお嬢さんは亡くなりました」との知らせがもたらされます。普通なら、これで終わりです。しかしイエスは、「恐れないで、ただ信じていなさい」(36)と言われました。そうして、その少女を生き返えらせました。

 私たちも「恐れる」ことがあります。では、「恐れないで、ただ信じていなさい」とは、どういうことなのでしょうか。これは、「信じていれば必ず願いが聞かれる」ということではありません。どんなに真剣に祈っても、願ったようにはならないこともあるのです。それはむしろ、「わたしが一番いいようにするから、わたしを信じて任せなさい」ということではないでしょうか。たとえその結果、願ったようにならなくても、イエスを信じてそのことも受け入れたいと思います。イエス様が私たちにとって最善をなしてくださると信じて、一切をお任せしたいと思います。

4)イエスは私たちの小さな声を聞いてくださる
最後に、今日の箇所の出来事を通して、2つのことを心に留めたいと思います。
一つは、「イエスは分け隔てなく、私たちの小さな声を聞いてくださる」ということです。イエスは会堂司ヤイロの願いを聞き、その途中で名もない長血で苦しんでいた女性の心の叫びを聞かれました。イエス様は、世の人々が見るところの大きい者も小さい者も関係なく、真剣に求める者の声を聞いてくださいます。私たちは安心して、イエス様に願いを申し上げていいのです。私たちの真実な祈りはイエス様に確実に届いています。イエス様に正直にすべてを「打ち明ける」ことです。イエス様はその祈りに必ず答えてくださいます。

5)イエスは私たちに平安を与えてくださる
もう一つのことは、「イエスは私たちに平安を与えてくださる」ということです。イエスは、長血をわずらっていた女性に「安心して行きなさい」と言われ、ヤイロには「恐れないで、ただ信じていなさい」と言われました。これらの言葉は、彼らの祈りに対する答えであり、私たちの祈りに対する答えであるとも言えると思います。イエス様は、私たちに「安心」(平安)を与えてくださいます。また、私たちの心から「恐れ」を取り除いてくださいます。祈っても、状況はすぐに変わることはないかもしれません。それでも、私たちの心に「恐れ」がなくなり、「平安」がもたらされるとしたら、それは何よりも大きな恵みではないでしょうか。

このことを覚えて、私たちの祈りを聞いておられ、私たちに平安を与えてくださるイエス様に心からの信頼を寄せて、お従いしてまいりましょう。