●主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)
マルコの福音書4:26-32 「神が成長させてくださる」 齋藤牧師
【今週のみことば】
「私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。」(コリント人への手紙第一3:6)
【礼拝メッセージ要旨】
イエスはさらに、「人知れず育つ種」のたとえと「からし種」のたとえを通して、「神の国」について教えています。
1)神の国とは
「神の国はこのようなものです」(26)「神の国」(「御国」)とは、「神のご支配」(神が私たちの心とこの世界を正しく治められること)と言えます。人は、神によって愛され、「とても良いもの」として造られましたが、サタンに惑わされ神の命令に背いて以来、人は神から離れ自分勝手に生きるようになりました。これが「原罪」と言われる、私たちが生まれながらに持っている罪の性質のことです。人に罪が入ったことによって、神との正しい関係が損なわれてしまったのです。しかし神は、そのままでよしとはされず、人を罪から救い出して、壊れている関係を回復することをご計画されました。そのために父なる神は、ひとり子イエスを人としてこの世界に遣わしてくださり、イエスは私たちの罪を代わりに負って、十字架で私たちの罪の償いをしてくださいました。これが、神が私たちのためになしてくださった「救いのみわざ」です。「神の国」とは、人が救い主イエス・キリストを心に受け入れ、罪赦されて、壊れていた神との関係が回復されること(関係が修復されること)と言えます。そして、一人一人の中に神のご支配が及んでいくことです。「御国が来ますように」(マタイ6:10)と祈ることは、一人でも多くの人が救い主イエスを信じて神との関係を回復し、神のご支配のもとに置かれるように、そんな祈りでもあると思います。
2)人知れず育つ種のたとえ
イエスは、「神の国はこのようなものです」と言って、2つの「種」のたとえを話されました。一つは「人知れず育つ種」のたとえ(26~29)です。地に蒔かれた種が芽を出し生長し、やがて実がなって収穫の時を迎える、そんなたとえです。「どのようにしてそうなるか、その人は知りません」(27)種には造り主である神が備えてくださった設計図が仕組まれていて、人手によらずに成長します。「神の国」は、その「人知れず育つ種」のようなものだというのです。これは、神の国も人の手によって広まっていくのではなくて、神がなされる「みわざ」であることを教えていると思います。
「私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。」(コリントⅠ3:6)パウロは、派閥争いのあったコリント教会に対して、教会が成長したのはパウロやアポロの働きによってではなくて、神ご自身によることであることを忘れるなと戒めています。そのように、神の国は、神の主権によって、神のみわざとして広がっていくものであることをこのたとえは教えているように思います。決して人の熱意や努力によってなされることではないのです。そのことを忘れると、神よりも人を頼ってしまったり、自分の力を誇ってしまうということもあるでしょう。神が私たちを成長させてくださる、ということをしっかりと心に留めたいと思います。
3)からし種のたとえ
もう一つのたとえは、「からし種のたとえ」(30~32)です。「からし種」は最も小さい種として知られていますが、成長すると3メートルにもなるそうです。神の国はそのからし種のようなものだというのです。それは、「小さく蒔かれ、大きく育つ」ということです。福音は、イエスお一人から始まりました。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。」(ヨハネ12:24) イエスがすべての人の罪を負って十字架で死なれたことによって、人に救いの道が開かれたのです。まさに「一粒の種」が地に蒔かれて大きく成長し豊かな実を結ぶように、福音は「みことばの種」として蒔かれて、世界中に広まったのです。そのように、イエスから始められた「神の国」の働きが、人の思いを越えて驚くほどに大きく広がっていくことを教えています。
4)成長させてくださる神に信頼すること
神の国の働きは、神が人の思いを越えて大きく成長させてくださる「神のみわざ」ではありますが、同時に、神は人を用いてみわざをなさいます。私たちにできること、期待されていることがあるのです。しかし、行動するにあたって、私たちが気を付けなければならないことがあると今日の個所は教えているように思います。2つのことを挙げたいと思います。
一つは、「成長させてくださる神に信頼すること」です。何よりも大事なことは、神に信頼することです。自分が何かをすることで、自分の力を誇ったり、自分の力に拠り頼むことがないように、あるいは、神よりも人に頼ることがないように、すべてのことをなさせてくださるのは神であることを忘れないようにしたいと思います。私たちの人生もこの大きな神の御手の中にあります。このことを信じて、私たちを成長させてくださる神様に心からの信頼を寄せたいと思います。
5)神にゆだねること
もう一つのことは、「神にゆだねること」です。「種を蒔く人」は、「ゆだねる」ということを知っています。種を蒔き、水をやって、自分にできることをやったら、あとは豊かな収穫を期待して天にゆだねます。そのように私たちも、自分にできることをやったら、あとは神に信頼し、お任せする(ゆだねる)ことを心掛けたいと思います。たとえその結果が、自分の期待したことと違う結果になったとしても、「これもみこころ」と受け止めることも大事なことではないでしょうか。神は人の思いを越えて最善をなしてくださると信じて、全能の神におゆだねしましょう。時には、神にゆだねて忍耐して待つ(神の時を待つ)、ということも必要です。
神の国は人の手によらず、神様の主権によって、小さく蒔かれ大きく広がっています。神様はその神の国の働きのために、私たちを用いてくださいます。神様に信頼し、ゆだねることを大切にしながら、自分にできることを喜んでなしていきたいと思います。