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マルコの福音書4:21-25 「聞く耳のある者は聞きなさい」 齋藤牧師
【今週のみことば】
「聞いていることに注意しなさい。あなたがたは、自分が量るその秤で自分にも量り与えられ、その上に増し加えられます。」(マルコの福音書4:24)
【礼拝メッセージ要旨】
イエスは種蒔きのたとえに続いて、「明かりのたとえ」と「秤のたとえ」を話されました。この2つのたとえを通して、イエスは「みことばに聞く」ことの大切さを教えています。
1)「明かり」のたとえ
「明かりを持って来るのは、升の下や寝台の下に置くためでしょうか」(21) せっかくの明かりを升の下や寝台の下に置いて隠すようなことをしたら、明かりとしての役目を果たせなくなります。「明かり」は「照らす」ためにあります。みことばはこの明かりのようなものだとイエスは教えられました。神の言葉であるみことばは、明かりのように隠れているものを「あらわにし」、秘められたものを「明らかにする」というのです(25)。確かに、聖書はみことばを「光」に例えています(詩篇119:105、ヨハネ1:9など)。そのように、みことばは、私たちの中にある「暗闇」を照らし出してくれる明かりのようなものと言えます。みことばはそうした暗闇を照らし出し、自分で気づけるようにしてくれます。私たちは、みことばの光によって絶えず「照らされる」必要があるのです。
2)「秤」のたとえ
「あなたがたは、自分が量るその秤で自分にも量り与えられ、その上に増し加えられます」(24) 当時の人々の生活にも「秤」は欠かせないものでした。正しい量り升を使わなければ、正しい商取引が出来なくなります。人の世には、「正しい秤」「正しい基準」が必要です。みことばはこの秤のようなものだというのです。みことばは、神様が与えてくださる「絶対的に正しい基準、尺度」と言えます。
一方で「自分が量るその秤」(24)とは、「自分の基準」「自分の尺度」のことを指しています。その「自分の尺度」をどこに定めるかが大事だと、イエスは教えているのではないでしょうか。「自分の秤」が「正しくない秤」であれば、自分も同じように量られ、自分の秤を「正しい秤」とするならば、「増し加えられる」(24)というのです。自分の尺度を「キリストの尺度」に合わせるならば、「豊かに与えられる」ということです。
3)みことばに「聞く」とは?
「聞く耳があるなら、聞きなさい」(23)イエスは、みことばが私たちにとって「明かり」となり、「正しい秤」となるために、「みことばに聞く」ことが大切だと教えておられます。では、「みことばに聞く」とは、どういうことなのでしょうか。例えば、「人の話を聞く」とき、自分に興味関心のある話題や自分にとってメリットのある話であれば、うなずきながら熱心に聞くことが出来ると思います。しかし、興味のない話や自分にとってメリットのない話は、聞いているようでも実は「聞いていない」のです。「みことば」は、神様から私たちへの「ラブレター」とも言われます。私たちの造り主である神様が、私たち一人一人のことを思って、みことばを通して私たちの心に語りかけてくださいます。「聖書を読む」ことは「みことばに聞くこと」(神様の語りかけに聞くこと)なのです。その神様の語り掛けに、どんな時でも私たちは真剣に聞くべきではないでしょうか。
では、「みことばに聞く」とは、どういうことなのでしょうか。大事なこととして2つのことを挙げたいと思います。
一つは、「みことばを受け入れる」ということです。みことばによって気づかされ、示されたことを自分のこととして受け入れることです。みことばは明かりのように私たちの内面を照らし出し、聖霊の助けによって気づきを与えてくれます。しかし、自分の尺度を持ったままでみことばを読むと、自分にとって都合の良いように受け取ってしまう(読み込んでしまう)、ということもあると思います。そうならないように、自分の心をまっさらにして、今イエス様は私に何を語っておられるのかと考えながら、みことばを「思い巡らす」ことを心がけたいと思います。そして、与えられたみことばを、自分のこととして素直に受け入れたいと思います。
もう一つのことは、「みことばを実行する」ということです。ただ聞くだけではなくて、示されたこと、気づかされたことを実行に移すことです。「みことばを行う人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけません。」(ヤコブ1:22)ヤコブは、みことばを実行することが大事だと語っています。「みことばを実行する」ということは、自分の生き方を修正していくことでもあると思います。イエス様の御姿に似るように少しずつ変えられていくことです。みことばの光に照らされて、「このままの自分ではいけない」と気づかされたらならば、自分を変えていくように努力することも大切ではないでしょうか。人は自分の生き方を変えることに抵抗を感じます。それでも神様は、私たちにみことばを通して「このところを変えていきなさい」と絶えず促し、励ましておられます。「自分の尺度」を「キリストの尺度」に合わせていくことです。
「みことばに聞く」ということは、「耳の痛いこと」なのかもしれません。生き方の修正を迫られるからです。私たちが少しずつ成長することを神様は求めておられます。このことを心に留めて、「みことばに聞く」者となりたいと思います。
私たちにとって、みことばは本当の「明かり」となっているでしょうか。みことばを自分の「正しい秤」としているでしょうか。みことばに聞いて、自分のこととして受け入れて、それを実行するものとなりたいと思います。