主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

マルコの福音書1:9-13 「私たちと同じように」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「イエスは、自ら試みを受けて苦しまれたからこそ、試みられている者たちを助けることができるのです。」(ヘブル人への手紙2:18)

【礼拝メッセージ要旨】

今日の個所には、イエスが救い主としての働きを開始された時になされた二つの出来事が記されています。これらのことにはどんな意味があったのでしょうか。

1)イエスはヨハネからバプテスマを受けられた
ヨハネがヨルダン川で悔い改めのバプテスマを授けていた時、イエスが彼のところにやってきて、ヨハネからバプテスマを受けられました。イエスは罪のないお方ですから、本来「悔い改めのバプテスマ」を受ける必要は全くありません。それでもイエスは、「これは正しいこと」つまり「神のみこころ」なのだと言って、ヨハネからのバプテスマを願ったのです。その時、天から御霊が降り、「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ」という声が聞こえました。これは、父なる神が、神のひとり子であるイエスを「メシア」として、人の世に遣わされたことを明確に表しています。イエスがメシアとしての働きを始められることを、父なる神は喜ばれました。

では、イエスがバプテスマを受けられたということには、どんな意味があるのでしょう。これは、イエスが私たちと同じ立場に立たれたということを意味しています。私たち罪人と同じようになられた、ということです。イエスは神としてのあり方に固執しないで、人となってこの世界に来てくださいました(ピリピ2:6,7)。神であるお方が、罪人である私たちのただ中に入って来てくださったのです。そしてイエスは、私たちの罪を負って十字架の死にまで従われました。

2)イエスはサタンの試みを受けられた
さらにもう一つ、イエスが救い主としての働きを始めるに当たってなされたことがあります。イエスは荒野で「サタンの試み」を受けられました(12,13)。イエスは、聖霊に導かれて40日間荒野で断食をしたのち、サタンから3つの誘惑を受けます。サタンはイエスの救い主としての働きを阻止しようとして、誘惑を仕掛けました。
①「あなたが神の子なら、これらの石がパンになるように命じなさい」これに対してイエスは、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる」(申命記8:3)と、みことばによってサタンの誘惑を退けました。
②次にサタンは、イエスをエルサレムの神殿の屋根に立たせてこう言います。「あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。」これに対してイエスは、「あなたの神である主を試みてはならない」(申命記6:16)と、みことばを示してこれを退けました。
③さらにサタンは、イエスにこの世のすべての王国と栄華を見せて、「もしひれ伏して私を拝むなら、これをすべてあなたにあげよう」と言いました。これに対しても、「あなたの神である主にのみ仕えなさいと書いてある」(申命記6:13)と、みことばによって退けました。

では、この時なぜイエスはサタンの試みを受ける必要があったのでしょうか。それは、人として受けるすべての試みをイエスご自身が経験された、ということを意味しています。イエスは人としての限界のある体をもって、「人の弱さ」を経験されたのです。私たちと同じようにイエスも、私たちの受ける試み(誘惑や試練)を経験されました。イエスが受けた最も大きな試みは「十字架」でした。イエスは、人としての限界を持って、苦しみながら十字架に向かわれました。

3)イエスのなされたこと
「イエスは、自ら試みを受けて苦しまれたからこそ、試みられている者たちを助けることができるのです。」(ヘブル2:18) このみことばは、イエスが救い主としての働きの最初になされた2つの出来事の意味をよく言い表していると思います。イエスは、人としてヨハネから悔い改めのバプテスマを受けて、私たちと同じ立場に立たれました。また、荒野でサタンの試みを受けて、私たちの受ける苦しみをご自身が経験されました。そして、サタンの試みに勝利されました。このようにイエスは、私たちと同じようになって、人としての苦しみをすべて経験されました。だからこそイエスは、私たちの救い主となって、私たちを助けることがおできになるのです。
全能の神であるお方が、限界のある人となってこの世界に来られて、私たちと同じように試みを受け、苦しみを経験されました。決して、遠く離れたところから救いの手を差し伸べたのではありません。そして最後は、私たちには耐えられない、想像を絶する十字架の苦しみを受けられました。そうして、私たちの罪の贖いを成し遂げられたのです。こうしてイエスは、私たちの「救い主」となられました。

イエスさまが私たちと同じようになられて、苦しみを受けられたからこそ、イエスさまは私たちの受ける苦しみ・悲しみをすべて分かってくださいます。たとえ、誰も自分の苦しい思いを分かってくれないと思えることがあるとしても、イエスさまは私たちの思いを理解してくださるのです。これは本当に大きな慰めであり、励ましです。また、イエスさまが苦しまれたからこそ、私たちはイエスさまを信頼することができるのではないでしょうか。イエスさまがこれほどまでに、私たちのことを愛してくださっていると分かるからです。
このイエスさまの大きな恵みを忘れないようにしたいと思います。

4)私たちも人の立場に立つ
最後に、このイエスの姿から教えられることとして一つ確認したいと思います。それは、「私たちも相手の立場に立つ」ということです。イエスは、低くなって、私たちと同じようになってくださいました。私たちも、ぜひこのイエスのお姿に倣いたいと思うのです。今、世界には様々な悲しい現実があります。私たちの身近なところでも、分かり合えない現実があるかもしれません。しかし、イエスがなされたように、私たちも相手の人の立場に立って考えることができたら、お互いに歩み寄れるのではないでしょうか。私たちも、相手の立場に立って寄り添う者となれるように、祈り求めてまいりたいと思います。