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マルコの福音書1:1-8 「ここに道がある」 齋藤牧師
【今週のみことば】
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。」(ヨハネの福音書14:6)
【礼拝メッセージ要旨】
今日からマルコの福音書に学びたいと思います。「マルコの福音書」は、ペテロの通訳をしていたマルコが、ペテロからイエスのご生涯やなされたことを聞いて正確に書き記したものと言われています。今日は、イエスが宣教を開始する少し前に現れた「ヨハネ」の姿に学びたいと思います。
1)この時代の背景(旧約から新約の時代へ)
旧約聖書には、紀元前400年位までの出来事が記されていますが、その後400年に渡る空白の時代を経て、新約聖書の時代を迎えます。その間、ユダヤの地は大国の支配下に置かれ続け、この新約の時代はローマ帝国の支配下に置かれていました。そうした状況下で、イスラエル人たちは神を中心とした生活を守り続けてきました。自分たちで細かい戒めを作り、それらに忠実に生きる「パリサイ人やサドカイ人」と呼ばれる人々が現われます。また、神が約束された「メシア」が来られることを待ち望むようになりました。しかし、彼らの信仰は「行い」による形だけのものとなっていったようです。
2)バプテスマのヨハネが現われる
そうした時代に「ヨハネ」が現れます。ヨハネが現れることは、旧約時代の預言者たちによって予告されていました(2~4)。「そのとおりに、バプテスマのヨハネが荒野に現れ、罪の赦しに導く悔い改めのバプテスマを宣べ伝えた」(4) 彼は、ユダヤ人の祭司ザカリヤと妻エリサベツの息子として誕生します(ルカ1章)。そうしてヨハネは、30歳の頃になって、イエスよりも少し前に宣教を開始します。
3)ヨハネの宣教
では、ヨハネはどんなことを宣べ伝えたのでしょうか。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」(マタイ3:2)彼は人々に悔い改めを説きました。「悔い改める」とは、神の方へと心の向きを変えることです。イスラエル人たちは、神に選ばれたアブラハムの子孫であることを誇りとし、そのことにより頼み、安心し切っていたようです。自分たちは神の前に正しく生きていると思っていたのです。しかしヨハネは、そうした彼らの間違った生き方を指摘し、神の前に悔い改めることを求めました。
このヨハネの悔い改めのメッセージを聞いて、ユダヤ全域から多くの人々が彼のもとにやってきます。ヨハネの言葉に心を刺されて、これまでの生き方が間違っていたことに気づかされたのです。彼らは自分たちの罪を告白し、悔い改めます。そして、その悔い改めたことの表明として、ヨハネからバプテスマを受けました。この「バプテスマ」は、「罪を洗い清める」ということを意味しています。こうして、ヨハネの登場によって、人々はそれまでの間違った生き方に気づかされて、悔い改めへと導かれました。
4)ここに道がある
そうしてさらに、ヨハネは大事なことを伝えます。人々は、ヨハネこそが昔から預言されてきたメシアではないかと期待をしたようです。しかし彼はそれを否定し、「私のあとに、本当に力のあるお方が来られます。その方こそ、神から遣わされるメシア、罪からの救い主なのです。」と言って、イエスのことを指し示しました。ヨハネは、これから来られるお方イエスに、人々の心を向けさせようとしたのです。「ここに、あなたがたが行くべき本当に正しい道、本当の幸いに至る道がある」と、人々に示しました。そうして間もなく、イエスが救い主としての働きを開始することになります。
イエスは、ご自身が「道」なのだと言われました(今週のみことば、ヨハネ14:6)。イエスを心に受け入れて、イエスを通してこそ、真理を知ることが出来る、永遠のいのちにつながることができる、ということです。これはまさに、聖書が私たちに伝えているメッセージです。聖書は、イエス・キリストこそが、本当の幸いにつながる、間違いのない道であると告げています。私たちの造り主である天の神様は、神のひとり子イエスを、人として私たちのところに遣わしてくださいました。そして、そのイエスを通してすべての人に罪の赦しの道を開いてくださいました。神様は、それほどまでに私たちのことを愛してくださいました。そのイエスを自分の心に受け入れて、イエスとともに人生を歩めることは、私たちにとって何よりも幸せなことなのです。
5)この個所から教えられること
最後に、今日の個所から教えられることとして3点確認したいと思います。
①一つは、「自分の姿を顧みる」ということです。イスラエルの人々は、ヨハネの言葉を聞いて、それまでの自分たちの生き方が間違っていたことに気づかされました。私たちも、今自分は正しい道へと向かって歩んでいるのか、立ち止まって顧みる時を持ちたいと思います。そのために、みことばを思い巡らし、祈る時を大切にしたいと思います。神様は大事なことに気づかせてくださるはずです。もし、間違いに気づかされたならば、躊躇せずに正しい道へと向きを変えたいと思います。
②二点目のことは、「謙虚さを忘れない」ということです。ヨハネのもとに国中から大勢の人々が押し寄せて、人々の注目を集めても、彼は決して高ぶりませんでした。崇められるべきお方はただお一人ですと、人々の目をイエスの方へと向けさせました。私たちもこの姿勢に倣いたいと思います。どんなに人に褒められることがあったとしても、自分も弱さのある「罪人の一人」であって、「罪赦された罪人」の一人に過ぎないことを忘れないようにしたいと思います。
③そして三点目のことは、「私たちもイエスを紹介する者となる」ということです。ヨハネは、人々にイエスのことを紹介し、この方こそが来るべきメシアなのです、と指し示しました。そのように、私たちも、今置かれているところでイエス様のことを紹介する者となりたいと思います。祈り、神様の知恵を求めながら、ふさわしい時に、自然な形でイエス様のことを紹介できればいいのではないでしょうか。言葉で直接語ることができなくても、神を敬い、イエスに信頼して生きる私たちの姿が、周りの人たちの目に良い証しとして映っているのだと思います。
私たちの生きざまを通して、「ここに行くべき道がある」ということを証ししてまいりましょう。