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列王記第二22:1-13,23-1-3 「みことばに照らされて」 齋藤牧師
【今週のみことば】
「あなたのみことばは 私の足のともしび 私の道の光です。」(詩篇119:105)
【礼拝メッセージ要旨】
今日は、南ユダ王国の「ヨシヤ王」の姿を通して、聖書(みことば)について学びたいと思います。
1)ヨシヤ王について
BC640年、南ユダの16人目の王として「ヨシヤ」が立てられます。彼はマナセの孫にあたります。彼は「主の目にかなうこと」を行い、ダビデ王のように歩みました(2)。彼は8歳で王となり、若い頃から主を求め始め、20歳の時にエルサレムとユダ、さらにはかつての北イスラエルの地域にまで出向いて偶像を取り除く、という大胆な宗教改革を実行します。
2)「律法の書」が発見される
そうして、ヨシヤ王の第18年、26歳の時に、国を揺るがすような大きな事件が起こります。ヨシヤがエルサレムの神殿の補修工事を命じた際に、大祭司ヒルキヤが「律法の書」を発見します。「律法の書」とは、かつて神がモーセに与えた神の教えと戒めを記した神のことば(モーセ五書)のことです。その「律法の書」が「見つかった」ということは、それが長い期間行方不明になっていたことを意味しています。何と、聖書がない状態で信仰生活がなされ、礼拝が行われていたというのです。歴代の王たちによって主の宮に偶像が置かれるようになった時に、どこかに埋もれてしまったか、あるいは律法の書を守るために神が隠された、ということなのかもしれません。その間、口伝えによって神の戒めが代々伝えられてきたと思われます。時代を経るにつれて少しずつ変えられたり、間違って伝えられたりしたようです。そうした状況の中で、ヨシヤは若いころから主を求めていました。そんな時に、この「律法の書」がしばらくぶりで発見されたのです。
3)ヨシヤ王の悔い改め
発見された律法の書は、書記シャファンによってヨシヤ王に届けられ、王の前で読み上げられました。これを聞いてヨシヤは、自分の衣を引き裂きます。自分たちの罪を示され、嘆き悲しみました。ユダの民も自分も神の戒めに背いて、本来あるべき姿から大きく外れていたことが示されたのです。また、律法の書には、律法を守り行うなら「祝福」を、そうでなければ「わざわい」が与えられるという「神との契約」があることを知ります。イスラエル人がこの神との契約を忘れ、主に背き続けていたことをハッキリと示されました。
この事実を知って、ヨシヤ王は家来たちを呼び集め「主のみこころ」を求めさせます。彼らは女預言者フルダに主のみこころを尋ねました。彼女は、ユダはわざわいを免れないと告げます。但し、ヨシヤ王の悔い改めのゆえに彼の時代にはそれは起こらないとも告げました。これを聞いて、ヨシヤはすべての民を集め、主の宮に上り、「契約の書」を読み聞かせました。皆で「みことばに聞いた」のです。そして、この契約のことばを実行することを民とともに「主に誓い」ました。その後、ヨシヤ王は誓った通りに律法のことばを実行します。しかしそれは、彼が生きている間のことでした。ユダはその後、また悪い方へと逆戻りしてしまいます。
4)聖書(みことば)について
このヨシヤ王の姿から、神のことばである聖書(みことば)について教えられることがあるように思います。特に、「みことばの果たす役割り」について、3つの点から確認をしたいと思います。
①まず一つ目のことは、「みことばは私たちの姿を照らし出す」ということです。ヨシヤは、発見された律法の書に聞いて、自分たちの現実の姿に気づきました。そのように、みことばは私たちの現実の姿を照らし出してくださいます。私たちは、みことばの光に照らされて、自分の本当の姿に気づかされるのではないでしょうか。「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く~」(ヘブル4:12) みことばは、生きている神のことばです。神は私たちの心に語り掛け、大事なことに気づかせてくださいます。私たちの心に鋭い剣のように入り込み、心の奥深くにある思いもあらわにします。もし私たちの心のうちに間違った思いがあるならば、そのことも照らし出して、間違いに気づかせてくださるのです。
②二つ目のことは、「みことばは私たちの行くべき道を差し示す」ということです。ヨシヤは律法の書によって、本来のあるべき姿を示されました。そのように、みことばは私たちのあるべき姿、行くべき正しい道を指し示してくださいます。「あなたのみことばは 私の足のともしび 私の道の光です。」(詩篇119:105) みことばは、私たちの人生を導く光のようなものです。人生の暗闇の中で、主はみことばを通して私たちに行くべき正しい道を差し示してくださるのではないでしょうか。そのみことばの光に導かれて、行くべき道をまっすぐに歩んで行きたいと思います。
③そして三つ目のことは、「みことばは私たちを神のみこころに従うように励ます」ということです。ヨシヤは、自分たちの間違いに気づかされた時、悔い改め、皆でみことばに聞いて、みことばに従って生きることを誓い、それを実行しました。「聖書はすべて神の霊感によるもので、教えを戒めと矯正と義の訓練のために有益です。」(テモテⅡ3:16)みことばは、私たちが神のみこころに従って生きていけるように促し、励ましてくださいます。聖書は、私たちの心に働いて大切なことを「教え」、間違いがあれば「戒め」、気づきを与え、そして、正しい方向へと「矯正」させてくださいます。さらに、私たちが成長できるように「訓練」を与えてくださるのです。
ヨシヤが律法の書に励まされて、それまでの生き方を変えようとしたように、私たちもみことばに聞いて、聖霊の助けをいただいて、主のみこころに従うことを求め続けてまいりましょう。