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列王記第二18:13-16,28-36,19:14-20 「ヒゼキヤの祈り」 齋藤牧師
【今週のみことば】
「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、主よ。ただ、あなただけが、地のすべての王国の神です。あなたが天と地を造られました。」(列王記第二19:15)
【礼拝メッセージ要旨】
北イスラエルは、その罪のゆえにアッシリアによって滅ぼされてしまいます(BC722年)。では、この時南ユダはどういう状況にあったでしょうか。今日は、南ユダの王であったヒゼキヤの信仰と祈りに学びたいと思います。
1)ヒゼキヤについて
北イスラエルの最後の王となったホセアが即位して3年目に、南ユダでは、「ヒゼキヤ」が王として立てられます。「彼は、すべて父祖ダビデが行ったとおりに、主の目にかなうことを行った」(3) 彼はダビデが主に従ったように主に信頼し、忠実に歩みました。国内にあった偶像の神々をことごとく取り除き、中断されていた主への礼拝を再開して、宗教改革を実行します。「彼の後にも前にも、彼ほどの者はだれもいなかった」(5)彼は、ユダの最も善い王の一人として数えられています。主はヒゼキヤを祝福し、彼のもとで南ユダは独立を保っていました。
2)アッシリアの侵攻
しかしその後、アッシリアの王センナケリブがユダに攻め込んできます(13)。ユダの町々はあっという間に敵の軍隊に攻め取られ、ヒゼキヤはアッシリア王の要求に屈して金銀を渡してしまいます。ヒゼキヤ王でさえも、これほど恐れてしまったのです。さらに、アッシリアの将軍ラブ・シャケは大軍とともにエルサレムを包囲し、「言葉による脅し」を仕掛けてきました。「いったい、おまえは何により頼んでいるのか」(19)、「ヒゼキヤにごまかされるな」(29) 彼は、ユダの民に「疑い」を起こさせるように仕向けます。さらに、一転して「甘い言葉」で誘惑しました(31)。彼らに疑いを起こさせ、甘い言葉で誘惑を仕掛けるような方法で、彼らの心をヒゼキヤと主から引き離そうとしたのです。これはサタンの使う常套手段です。私たちも、そうした言葉に本当に弱いものです。そうした言葉を聞く時に、つい自分の確信していることに疑いを抱き、不安になり動揺してしまう、ということはないでしょうか。私たちは、そうした疑いを起こさせるような「外から、内からの声」に本当に気を付けなければなりません。
このラブ・シャケの脅しに対して、それを聞いていたユダの民は、一言も答えませんでした。ヒゼキヤが「彼に答えるな」と命じていたからです。
3)ヒゼキヤの祈り
ラブ・シャケの脅しを知らされたヒゼキヤは、主の宮に入って祈りをささげます(19:1)。さらにイザヤに祈りの要請をし、イザヤを通して与えられる主の言葉に聞こうとしました。彼は、何よりもまず主に信頼を置いたのです。その祈りに主は答えられます。「彼の言葉を恐れるな」(19:6) そして、アッシリアの王はあるうわさを聞いて自分の国に引き揚げ、そこで殺されると告げられました。この主の約束の言葉に、ヒゼキヤは大きな励ましを受けたと思います。それでも目の前の状況は変わりません。依然として、アッシリアの大軍はエルサレムの町を取り囲んでいます。さらにアッシリアの王はヒゼキヤに脅しのことばを送りつけます。それを聞いて、ヒゼキヤは再び祈りをささげました。「ただ、あなただけが、地のすべての王国の神です。」(19:15) 主こそ天地を造られた神であり、すべてを支配されているお方ですと告白しています。このヒゼキヤの心からの祈りに主は答えられます。「わたしに祈ったことを、わたしは聞いた」(19:20) これを聞いたヒゼキヤは、どんなに力づけられたことでしょう。神様は、私たちの心からの祈りを聞いておられます。そして必ず答えてくださいます。その夜、エルサレムを包囲していたアッシリアの軍隊は主によって打たれてしまいます。こうしてヒゼキヤは大きな試練の時を、信仰と祈りによって乗り越えることが出来ました。
4)「大きな声」に対処する秘訣
このヒゼキヤの姿に、私たちも学ぶことがあるように思います。私たちも、「人の言葉」を恐れることがあるのではないでしょうか。人からの誤解や不当な批判、あるいは自分の中から湧き上がる疑いの言葉が聞こえてきた時、私たちはどう対処すればいいのでしょうか。最後に、その秘訣として、ヒゼキヤの姿から3つのことについて確認をしたいと思います。
①まず一つ目のことは、「不当な声や不確かな声を聞かないこと」です。そうした声に過剰に反応しないことです。ラブ・シャケの脅しに、ヒゼキヤが「彼に答えるな」と命じたように、答える必要のないことに聞かない、答えない、ということも神様の知恵ではないでしょうか。自分が間違ったことをしていないと思えるなら、人の言葉を気にしないで「受け流す」ことも大事なことだと思います。イエス様も、不当な裁判を受けた時に、不当な質問には答えずに沈黙を守りました。
②次に二つ目のことは、「人の言葉をいたずらに恐れないこと」です。私たちは人の言葉が気になります。それでも主は、「恐れるな」と言っておられます。なぜならば、神様だけがすべてを知っておられ、正しく見ておられるからです。そのことが分かる時に、安心できるのではないでしょうか。心配せずに、このお方に信頼して、一切をお任せしたいと思います。
③そして三つ目のことは、「主に信頼して祈ること」です。ヒゼキヤは、困難の時に主に助けを求めて祈りました。主こそ本当に恐れるべきお方だと分かっていたからです。天地を造り、私たちにいのちを与えてくださった大きな神様が、小さな私たちのことも愛してくださり、心配してくださっています。「わたしに何でも相談しなさい」と、私たちの祈りを待っておられるのではないでしょうか。主は私たちの祈りを聞いておられます。そして、必ず何らかの形で祈りに答えてくださいます。
このことを信じて、困難の時にも主に信頼し、心からの祈りをおささげしたいと思います。