主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

使徒19:21-40 「困難を乗り越えて」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「神は、それほど大きな死の危険から私たちを救い出してくださいました。これからも救い出してくださいます。私たちはこの神に希望を置いています。」(コリント人への手紙第二1:10)

【礼拝メッセージ要旨】

パウロがエペソを去る時が近づいてきました。その矢先、エペソの町で大きな事件が持ち上がります。パウロはその困難をどのように乗り越えたでしょうか。

1)パウロに示されたビジョン
「パウロは御霊に示され、マケドニアとアカイアを通ってエルサレムに行くことにした。」(21)パウロはいつも祈りながら、神の導きを求めていたようです。「御霊に示され」は、「心に決めて」とも訳されます。自らの意思を持って神の導きに従ったということです。そうして彼は、このあとの計画(ビジョン)を思い描きました。その計画とは、まず「マケドニアとアカイアを通ってエルサレムに行くこと」でした。エルサレム教会を助けるための献金を集めてエルサレムに届けようとしたのです。そしてそこからローマへ向かう計画でした。ローマ15章からは、パウロはローマを経てさらにイスパニア(今日のスペイン)を目指していたことがうかがえます(ローマ15:22-28)。
私たちも、自分の将来のことを真剣に祈り求めながら、思い描いていきたいと思います。みこころならば、道は開かれていきます。

2)エペソでの騒動
パウロは先に二人の弟子たちをマケドニアに遣わし、しばらくエペソに留まって旅に備えていました。そんな矢先に、エペソの町で大きな事件が持ち上がります。エペソにあるアルテミス神殿の模型を造って収入を得ていた銀細工人のデメテリオが、パウロのせいで自分たちの仕事が脅かされていると苦情を訴えたのです。それほど、パウロの宣教によって多くの人々が真の神に立ち返ったことを物語っています。デメテリオに煽られた人々は激しく怒って、群衆となって町の野外劇場になだれ込みます。町は混乱状態となりました。その時パウロの二人の同行者たちが捕らえられ、パウロは劇場に入ろうとしますが、弟子たちと友人たちによって引き止められます。そこに町の書記官が現われて群衆を静め、冷静に呼びかけて集会を解散させました。こうしてパウロは危ないところを守られました。

3)困難を乗り越えて
このエペソでの事件、パウロに明確なビジョン(計画)が示されて、それに向かって進んで行こうという、その矢先に起こりました。計画を妨げるような事件でした。最悪の場合、パウロはここで捕らえられて彼の命もなかったかもしれません。パウロの働きには、常に困難がありました。ピリピでは、女奴隷の主人たちに訴えられて投獄され、コリントではユダヤ人たちに訴えられました。エペソでもこの事件の他にも多くの困難があったようです。「私たちは、非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、生きる望みさえ失うほどでした。」(Ⅱコリント1:8)命の危険を感じるほどの相当厳しい苦難に遭遇したことがうかがえます。そうした困難を通して、パウロは「死者をよみがえらせてくださる神に頼る者」とされていきました。そして、その困難の中でも神の守りがあったと証ししています。「神は、それほど大きな死の危険から私たちを救い出してくださいました。」(Ⅱコリント1:10) パウロは、どんな困難の中に置かれても神に信頼し、希望を置いていました。そして、そうした困難を乗り越えて、自分の行くべき道を迷うことなくまっすぐに進んでいったのです。パウロの働きの原動力はここにありました。

4)私たちの人生の旅路について
さて、この箇所を思い巡らしていて、パウロの宣教の旅は「私たちの人生の旅」を表わしているようにも思えてきました。私たちの人生の旅路も、パウロの旅のようなものなのかもしれません。では、私たちの人生の旅路はどのようなものと言えるでしょうか?今日の箇所を通して、3点ほど挙げてみたいと思います。

①一つ目のことは、「神様は私たちに行くべき道(計画、ビジョン)を示してくださる」ということです。パウロはいつも自分の行くべき道を祈り求めていました。そして神様は、御霊を通して具体的な道を示されました。神様は、私たちにも私たちの行くべき道を示してくださいます。このことを信じて、真剣に祈り求めてまいりたいと思います。そしてその道を確信した時に、恐れずに迷わずに、まっすぐに進んでいきたいと思います。

②二つ目のことは、「人生の旅路は決して平坦な道ではない」ということです。パウロの歩んだ道は苦難の多い道でした。パウロは、本当に苦しいところを何度も通されて、祈らされて、神にますます信頼する者とされていきました。私たちの歩む人生の道においても、苦しいところを通されることがあります。クリスチャンになればバラ色の人生が開けて、何の苦労もなく平安な人生を送れるということではありません。むしろ、イバラの道と思えるところに置かれることもあるかもしれません。私たちの行く道は決して平坦な道ではないのです。それでも、その平坦でない道を通されることによって受ける恵み、初めて気づかされる恵みがあるのだと思います。

③そして三つ目のことは、「それでも神の守りがある」ということです。パウロは何度も苦難を経験しましたが、不思議と守られました。その背後には、すべてをご存じの大きな神の守りの御手がありました。私たちのこれまでの人生の歩みを振り返る時、確かに神様の守りがあったと言えるのではないでしょうか。イエス様は、私たちの人生の旅路を一緒に歩んでくださいます。苦しい道を行くときも、イエス様は私たちを決して見放さずに、私たちと共にいて困難を乗り越えさせてくださるのです。

このイエス様に信頼して、希望を置いて、人生の旅路を主と共に歩み続けてまいりましょう。