主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

使徒20:17-35 「恵みのみことばに立つ」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「今私は、あなたがたを神とその恵みのみことばにゆだねます。みことばは、あなたがたを成長させ、聖なるものとされたすべての人々とともに、あなたがたに御国を受け継がせることができるのです。」(使徒の働き20:32)

【礼拝メッセージ要旨】

今日の箇所には、パウロが第3回目の宣教旅行の帰路にミレトスでエペソの長老たちに対して語ったメッセージが記されています。この時パウロは、どんな思いで何を語ったでしょうか。

1)エペソの長老たちを招く
パウロは、エペソを出発し、マケドニアからギリシアに向かい、そこに3か月滞在してからエルサレムに向けて帰路につきます。その途中、アジア州西岸の港町ミレトスに立ち寄り、そこにエペソの長老たちを招きました。エルサレムへの道を急いでいたためエペソには立ち寄らなかったものの、彼が手塩にかけて育てた長老たちにどうしても会って伝えたいことがあったようです。パウロは、彼らに会うのはこれが最後になると分かっていて、大事なことを伝え残そうとしました。彼らへの決別のメッセージを語ります。

2)パウロが最後に伝えたかったこと
では、パウロは最後に彼らにどんなことを語ったでしょうか。特に次の三つの点に目を留めてみたいと思います。

①一つ目のことは、「自分の走るべき道のりがある」ということです。
「けれども、私が自分の走るべき道のりを走り尽くし~」(24) パウロは、これまで多くの困難の中でも主に仕え、エペソ教会を建て上げてきたことを告げて、これからエルサレムに向かう計画について語ります。しかしそこには「鎖と苦しみ」が待っていることも分かっていました。彼は、異邦人教会から集めた献金をエルサレム教会に届けようとしてエルサレムを目指していましたが、そこはユダヤ教の聖地であり、パウロの敵の牙城でもありました。それでもパウロは、それも「自分の走るべき道のり」だと言っています。彼は、イエスに出会って救われて、福音のために生きると決意して宣教の旅に出ました。この使命を果たすことに自分の人生をかけていたのです。それが、パウロの「走るべき人生の道のり」でした。私たちにも、それぞれ「自分の走るべき人生の道のり」があると思います。その道のりは、一人一人同じではありません。神様に与えられた賜物を用いて、そこに喜びを見出して、神様とともに歩んで行ける道が、「私たちの走るべき道のり」と言えると思います。自分は、何を大事にして人生を歩むべきなのか、どこを目指すのか、祈り求めていきたいと思います。そして、神様に励まされ、力をいただきながら、自分の走るべき道のりを最後まで走り尽くしたいと思います。

②二つ目のことは、「教会は神の教会である」ということです。
「神がご自分の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために~」(28)パウロは、長老たちに群れをしっかりと導いてほしいと願い、大事なことを伝えました。その中で、教会は「神の教会」だと言っています。「教会」と日本語に訳されている言葉には、「神に呼び集められた者たち」という意味があります。神様によって招集された一人一人の集まりが教会なのです。教会の所有者は神様です。そこに集められた一人一人は、イエス様が十字架で流された尊い血潮によって「買い取られた」というのです。神様は、ひとり子のいのちという大きな代価を支払って、私たちを罪の奴隷から買い取ってくださいました。しかし、気を付けていないと、いつしか「神の教会」ではなくて、「人の教会」になってしまうと警告を与えているように思います。パウロがエペソを去った後、外から偽教師が入り込んで教会を惑わしたり、教会の内側から分裂・分派が起こるだろうと言っています。パウロは、自分が去るに当たって、このことに気を付けるようにと長老たちに伝えました。
私たちの教会も、本当の意味で「神の教会」となっているか、いつしか「人の教会」となってはいないか(教会の真ん中にイエス様がおられるかどうか)、いつも気を付けていたいと思います。

③三つ目のことは、「恵みのみことばに立つ」ということです。
「今私は、あなたがたを神とその恵みのみことばにゆだねます。」(32)教会に起こる様々な問題から守られるためにどうしたらよいのか、その鍵となることをパウロは伝えました。それは、神のみことばに聞き従うことです。一人一人が、変わることのないみことばの土台の上に立つことです。みことばはあなたがたを成長させ、あなたがたに御国を受け継がせることができると、パウロは言っています。みことばは、私たちに「恵み」をもたらす「恵みのみことば」なのです。私たちの人生が揺さぶられるようなことが起こっても、教会が大きな試練に直面しても、この恵みのみことばにしっかりと立っていれば大丈夫、ということです。このことを大事なこととして心に刻みたいと思います。恵みのみことばに信頼して、聞き従う者となりたいと思います。

3)「与える者」となる
「みことばに聞き従う」ことに関して、パウロは最後に一つ、具体的な勧めをしています。それは、「与える者となる」ということです。パウロは、イエスが教えた言葉として、「受けるよりも与えるほうが幸いである」という言葉を紹介して、弱い人たちを顧みることを勧めました。「与える者」となる、ということは、神を愛し、人を愛し、人に仕える者となることを意味していると思います。人の心に寄り添い、思いやることです。しかし、そう簡単なことではありません。それでも、私たちも与える者、心から人の心に寄り添う者とさせていただきたいと思います。そのために、イエス様の姿にならいたいと思います。イエス様は、完全に自分を無にして人を愛し、人に仕えてくださいました。私たちは、イエス様のようにはなれません。それでも、イエス様の姿をいつも見ていたいと思います。イエス様はどうされたか、思い起こすことです。そうすることで、少しずつ変えられていくのではないでしょうか。

私たちも、このパウロのメッセージをしっかりと受け止めて、みことばに信頼しながらイエス様と共に自分の走るべき道のりを最後まで走り尽くしたいと思います。