主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

詩篇139:13-16,イザヤ書49:13-16 「あなたを忘れない」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「たとえ女たちが忘れても、このわたしは、あなたを忘れない。」(使徒の働き14:17)

【礼拝メッセージ要旨】

神さまは、「わたしはあなたを忘れない」と言われます。これは、私たちにとって大きな励ましです。今日は、召天者記念礼拝に関連して、詩篇139篇とイザヤ書49章から、慰めと励ましをいただきたいと思います。

1)詩篇139篇から
詩篇139篇には、ダビデの祈りが記されています。「主よあなたは私を探り知っておられます」(1) 神は私の心の思いも知っておられ、私がどこへ逃れようともその御手で私を導き捕らえる、と言っています。また、闇の中に隠れたとしても、神の目にはすべては明るみにされていて、すべてご存じだというのです。ダビデの中には、大きな神がこんな小さな自分のことをも覚えて、見守ってくださっているという、そんな感謝の思いがあったことがうかがえます。また一方では、神の目から逃れたくても逃れられない、ちょっと窮屈だ、というような思いも感じられます。神はなぜ、それほどまでにダビデのことを知っておられたというのでしょうか。「あなたこそ 私の内臓を造り 母の胎の内で私を組み立てられた方です」(13) 自分を造ってくださった造り主だからこそ、私のすべてを知っておられる、というのです。創世記にある神の創造のみわざを読むと、神が、天地万物、命あるものも、一つ一つ丁寧に目的を持って造られたことが分かります。すべてのものは、決して偶然によって出来たのではないのです。私たちも、全能の神さまのご計画により、目的をもって造られ、今生かされている、ということです。「あなたの目は胎児の私を見られ あなたの書物にすべてが記されました」(16)私たちが造られた時に、神は私たちの名を「いのちの書」に書き記してくださいました。神さまは、造られた一人一人のことを本当にいとおしんで、愛をもって覚えておられます。かけがえのない、大切ないとおしい存在として、私たちは造られたのです。このことを覚えて、感謝をおささげしたいと思います。

2)イザヤ書49章から
イザヤ書には、紀元前700年頃に、南ユダの預言者イザヤに示された神の預言のことばが記されています。その頃、北イスラエルはアッシリア帝国という大国に攻められて、とうとう滅ぼされてしまいます。神に従えなかったことが原因でした。やがて、アッシリアは南ユダにも攻め込んできます。そうした緊迫した情勢の中で、神はイザヤにメッセージを送って、イスラエルの民を励まそうとされました。神は、イザヤに将来起こることを示します。イザヤの時代から約100年後、南ユダもバビロニアによって滅ぼされ、人々は遠いバビロンへ捕囚民として連れて行かれます。しかし、さらに数十年後、彼らは捕囚から解放されてエルサレムに帰ってくるというのです。「天よ。喜びの声をあげよ。地よ、小躍りせよ」(13) 神が民をあわれんで、戻してくださる、喜んで帰ってきなさい、そんな神様の呼びかけの言葉です。しかし、ユダヤ人たちはそのことが信じられないで、絶望しているようです。「主は私を見捨てた。主は私を忘れた」(14) そんな彼らに神は、母親が自分が産んだ子どもを忘れることがあるだろうか、我が子のことをあわれまないことがあるだろうか、と問いかけています(15)。たとえ、そのようなことがあったとしても、「このわたしは、あなたを忘れない」と、神さまは約束しておられます。ここに、私たちに対する神さまの永遠の愛、変わることのない無限の愛が表わされています。

3)覚えられていることの恵み
「わたしは手のひらにあなたを刻んだ」(16) この言葉には、神がご自身のからだに傷をつけて、痛みを覚えてまで、あなたのことを覚えている、あなたを愛している、そんな意味合いが込められているように思います。イエス様の十字架の恵みが思い起こされます。イエス様は、十字架で私たちの代わりに痛み苦しみを一身に引き受けて、私たちの罪の償いをしてくださいました。それほどまでに私たちを愛してくださいました。そして、私たちのことを覚えてくださっています。たとえ人が忘れても、神さまは絶対に忘れることはないのです。私たちは決して孤独ではありません。

神さまが私たちのことを忘れないと言ってくださるように、私たちも、先に召された、愛する人々のことを、決して忘れないようにしたいと思います。その人と過ごした日々の素晴らしい思い出を、しっかりと心に刻んでいたいと思います。そして、神さまに覚えられていることの感謝を忘れずに、私たちに与えられているいのちの日々を、精一杯歩んでまいりましょう。