主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

使徒14:8-28 「すべての人に注がれる恵み」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「あなたがたに天からの雨と実りの季節を与え、食物と喜びであなたがたの心を満たすなど、恵みを施しておられたのです。」(使徒の働き14:17)

【礼拝メッセージ要旨】

今日は、パウロの第一回伝道旅行のその後の足取りをたどり、特に、リステラという町でなされた出来事に目を留めたいと思います。

1)第一回伝道旅行、その後の足取り
その後パウロの一行はキプロス島から海を渡り、パンフリヤ地方のペルゲに向かいます。ところが、残念なことに、ここでヨハネ・マルコが離脱してエルサレムへ帰ってしまいます。理由は定かではありません。想定外のハプニングです。それでもバルナバとパウロは旅を続けました。彼らは北に向かい、ピシディア地方のアンティオキアに入ります。そこで、ユダヤ人の会堂に入って、パウロが、ユダヤ人の歴史から始めてイエスによる救いのことを大胆に語る機会が与えられます。彼のメッセージ(福音)を聞いて、ユダヤ人も異邦人も、大勢の町の人たちがイエスを信じて信仰に入りました。しかし、それを良く思わないユダヤ人たちからの迫害を受けて、彼らは町から追い出されてしまいます。そうして一行は、アンティオキアから南東に向かい、イコニオンまでやってきます。イコニオンでも大勢の人たちがイエスを信じますが、反対する人たちもいて、町が二分されてしまいます。そして、彼らを石打ちにしようという企てまで起きたために、二人は周辺の町へと逃れて、その先々で福音を宣べ伝えました。困難の多い旅でした。

2)リステラでの宣教
イコニオンを出た一行は、南に向かいリステラの町に入り、道行く人々に語り掛けたようです。そこで、「足の不自由な人」に出会い、彼の信仰を見て、彼を癒すという奇跡を行ないなす。それを見た町の人々が、バルナバとパウロをギリシア神話の神々であるゼウスとヘルメスだと思い込んで、いけにえをささげようとまでしました。神々の怒りに触れないようと恐れたのかもしれません。リステラの人々にとっては、神とは、そのようにたくさんいる「神々」であって、様々な「守護神」がいると信じていたようです。バルナバとパウロは、必死になって彼らの誤解を解こうとします。

3)パウロが語ったこと ~神とはどういうお方なのか~
この時に、そこにいた人々にパウロが語ったメッセージが15~17節に記されています。それは、ユダヤ教の背景が全くない人たちに対するメッセージでした。ここでパウロは、「神」とはどういうお方なのか、実に分かりやすく説明しています。それはどんなことだったでしょうか。4つの点に目を留めてみたいと思います。

①まず第一点目は、「神は天地を造られた唯一の神である」ということです。「あなたがたがこのような空しいことから離れて、天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造られた生ける神に立ち返るように」(15) パウロは、神はお一人であって、その唯一の神様がこの世界を造られたと語りました。神は、天地万物、この世界のすべてのものをお造りになられたお方です。私たち人間も神の被造物に過ぎません。私たちを造られた大きな神様がおられる、ということを心に留めたいと思います。

②第二点目は、「神は生きておられる、生ける神である」ということです。「生ける神に立ち返るように」とあります。ギリシア神話の神々は人の想像の産物です。しかし、聖書に記されている神はそうではありません。「わたしはアルファであり、オメガである」(黙示録1:8) とあるとおり、最初から最後まで、永遠に存在しておられるお方です。私たちが信じている神様は、今も生きて働いておられます。

③第三点目は、「神は忍耐深い、寛容なお方である」ということです。「神は、過ぎ去った時代には、あらゆる国の人々がそれぞれ自分の道を歩むままにしておられました」(16) 神様は、忍耐深く、私たちの歩みを見ておられます。親が我が子のことを心配するように、あわれんで、時にハラハラしながら見ておられるのではないでしょうか。神様は、決して横暴に振る舞うような「恐ろしいお方」ではないのです。

④そして、第四点目のことは、「神は、すべての人に恵みを注いでくださる」ということです。「天からの雨と実りの季節を与え、食物と喜びであなたがたの心を満たすなど、恵みを施しておられたのです」(17) 私たちが受けているものはすべて神の恵みなのだなと思わされます。神様は、私たちのために必要なすべての良いものを備え、与えてくださいます。私たちは、日々豊かに恵みを受けて生かされているのです。この感謝を忘れないようにしたいと思います。

4)すべての人に注がれる恵み
「人とは何ものなのでしょう。あなたが心に留められるとは。人の子とはいったい何ものなのでしょう。あなたが顧みてくださるとは」(詩篇8:4)このみことばが思い起こされます。ダビデは、なぜ私のような者をこれほどまでに特別に扱ってくださるのでしょうと、驚きと感動から、この祈りをささげました。この箇所を読むたびに、神様の大きさと、こんな小さな自分にも目を留めてくださる、神様のいつくしみの深さを覚えずにはいられません。海に沈む夕日を眺める時に、満天の星空を見上げる時に、本当に神様の偉大さを感じるような気がします。そして感謝があふれてきます。

この神様の恵みは、すべての人に注がれています。神様は、ご自身がお造りになった一人一人を顧みてくださっているのです。そして、最も大きな恵みはイエス様です。神は、私たちを罪から救うために、大切なひとり子であられるイエスを、人としてこの世界に遣わしてくださいました。これ以上の恵みはありません。それほどまでに、神様は私たちのことを愛しておられます。

私たちに豊かに注がれている神様の恵みを覚えて、心からの感謝をおささげしましょう。