主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

創世記25:19-34「エサウとヤコブ」    齋藤牧師

【礼拝メッセージ要旨】

今日は、イサクとリベカの間に生まれた二人の息子たちの姿を通して、「神様から与えられる恵み」ということについて思いを巡らしたいと思います。

1)イサクとリベカの祈り
イサクは、アブラハムから跡継ぎとして神様の祝福の約束を受け継ぎましたが、なかなか子どもが与えられませんでした。そこで彼は、妻のために主に祈願します。当時の社会では、そのような場合にはそばめによって子どもをもうけることが普通になされていたようです。しかしイサクは、そうはしないで、神様の祝福の約束を信じて祈り続けて、神様の時を待ちました。
そうして結婚から20年後、神様は彼の祈りに答えてくださり、リベカは身ごもります。ところが、お腹の中で子どもたちがぶつかり合うようになり、リベカは主のみこころを求めて祈りました。主は、その子どもたちから2つの国民が分かれ出て、兄が弟に仕えることをリベカに告げます。

2)エサウとヤコブ
いよいよ出産の時を迎えて、最初に出てきた子どもは赤くて毛深い姿からエサウと名付けられます。次に出てきた子どもはエサウのかかとつかんでいました。その様子から次男はヤコブと名付けられました。
エサウとヤコブは双子でしたが、性格や生活スタイルは全く違っていました。エサウは「巧みな猟師、野の人」となり、ヤコブは「穏やかな人で、天幕に住んで」いました。そんな対照的な子どもたちに対して、両親はそれぞれに子どもたちを同じように愛することができませんでした。イサクは長男のエサウを愛し、リベカは次男のヤコブを愛します。このことが、のちに家族の中に大きな問題をもたらすことになります。

3)エサウ、長子の権利を売る
ある時、ヤコブが天幕の中で煮物を煮ているところへ、エサウが飢え疲れて猟から帰ってきました。エサウはそのうまそうな煮物を見るや否や「その赤いのを食べさせてくれ」とヤコブに要求します。それを聞いてヤコブは、エサウの持っていた「長子の権利」と引き換えに煮物を与えることを提示しました。「長子の権利」とは、長子がもつ特別な権利のことです。長子は他の子どもたちの2倍の分け前を受けることができました。しかもイサクの長子は神様の祝福の約束を受け継ぐことになります。ヤコブはリベカから、主が「兄は弟に仕える」と告げていたことを聞いていたのでしょう。
これに対してエサウは、「長子の権利など、今の私に何になろう」と言って、一杯の煮物と引き換えにその権利を売り渡してしまいました。「こうしてエサウは長子の権利を軽蔑したのである」(34)彼は、自分に与えられていた恵みがどんなに大きくて、大事なものであるか分かっていなかったようです。それよりも、今の空腹を満たすことの方が大事だと考えたのです。

4)私たちに与えられている恵み
この「長子の権利」は、私たちにも関係のあることです。「長子となる」ということは、「神の子どもとされる」ことでもあります。神のひとり子であるイエス様を信じて心にお迎えするならば、その人は「神の子どもとされる」と聖書は言っています(ヨハネ1:12)。それは神様が与えてくださる特権であり、大きな祝福です。イエス様によって私たちは、目には見えなくても天の神様に確かにつながっているのです。神様がこの私のことを覚えていてくださり、心配し、いつも見守っていてくださいます。みことばと祈りを通して神様と交わることができるのです。それは何よりも安心できることではないでしょうか。また、神様の与えてくださる相続財産は、朽ちることも消えてなくなることもありません(Ⅰペテロ1:4)。私たちには、これほど大きな恵みが与えられているのです。また、それを求める人には、神様は惜しみなく与えてくださいます。このことを感謝をもって、しっかりと心に留めたいと思います。そして、与えられている恵みから目を離さないようにしたいと思います。
エサウは、この恵みの大きさが分からずに自分から手放してしまいました。ヤコブは、神様の祝福を求めてそれを受け取りました。神様は、ヤコブの弱さをもご存じの上で彼を選び、祝福されたのです。

私たちにも弱さがあります。そんな私たちにも、神様は目を留めてくださり、イエス様の十字架の血潮によって私たちを神の子どもとして受け入れてくださいました。このことを覚えて感謝をおささげしましょう。そして、大きな恵みを受けている者として、喜んでその恵みに答えていきたいと思います。