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ヘブル人への手紙11:8-16 「天の故郷を待ち望む」 齋藤牧師
【今週のみことば】
「しかし実際には、彼らが憧れていたのは、もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。」(ヘブル人への手紙11:16)
【礼拝メッセージ要旨】
今日は、「召天者記念礼拝」をおささげします。召天者の方々は「天の故郷」に帰って行かれました。天の故郷とはどんなところなのでしょうか。
1)アブラハムの人生
ヘブル人への手紙11章には、「信仰の人」として生きた人々が地上でどのように生き、天に召されていったのか記されています。「アブラハム」は、75歳の時に神の召しを受け、神が示された「カナンの地」を目指して旅に出ました。彼は、「あなたとあなたの子孫を祝福し、あなたの子孫は星の数のようになる」という約束と、「カナンの地をあなたの子孫に与える」という神の2つの約束を信じて旅を続けたのです。ようやく彼が100歳の時に、妻サラとの間に一人息子のイサクが授かり、やがてイサクも家庭を築き、彼の家族は増えていきました。彼は多くの失敗や試練を経験し、波乱万丈な人生を送りますが、175年の地上生涯を全うして天に迎えられました。神の2つの約束は、彼の子孫の時代に実現します。
2)地上では旅人であり寄留者
「地上では旅人であり、寄留者であることを告白していました」(13) アブラハムの人生はまさに旅の連続でした。私たちの人生も、旅にたとえられます。人生の場面は、時とともに移り変わっていきます。置かれる状況も、見ている景色も変わります。順調な時もあれば、逆境の中に置かれることもあるのです。今、人生100年とも言われるようになりました。しかし、その長いと思える人生も、実は人生の旅の通過点に過ぎないと聖書は語っています。人生の旅はそれで終わらずに、その先に続いて行くというのです。
3)天の故郷
「はるか遠くにそれを見て喜び迎え」(13)アブラハムは、その先にある遠い目的地を見ていたようです。「カナンの地」という、目に見える目的地だけを見ていたのではありませんでした。その先に続く、目に見えない目的地をはるか遠くに仰ぎ見ていたのです。地上の旅では、多くの困難や試練もありましたが、そんな時にもはるか遠くにある目的地に望みを置いていたのではないでしょうか。では、アブラハムが待ち望んだ、人生の旅の目的地とは何でしょう。それは、「天の故郷」(16)でした。「天の故郷」とは、本来、私たちがそこから「出て来たところ」であり、「帰るべきところ」であると言えます。「土のちりは元あったように地に帰り、霊はこれを与えた神に帰る。」(伝道者の書12:7) 人は死んだら、肉体は朽ち果てて地のちりとなるけれども、霊はいのちを与えてくださった神様のもとに帰っていくと語っています。私たちはこの神様のもとから出て来ました。そして、私たちが地上の生涯を終える時には、私たちの霊は、造り主である神様のもとに帰っていくのです。
自分が生まれ育った故郷(ふるさと)は、本当に懐かしくて、家族や友だちが迎えてくれるところ、安心できるところと言えます。地上でのふるさとがこんなにも待ち遠しいところなのであれば、まして、私たちがいのちをいただいた、神様のみもと、「天のふるさと」は、どんなにかすばらしいところでしょう。神のひとり子であるイエス・キリストというお方が、この私の罪のために死なれ、よみがえってくださったことを心から信じるならば、誰であっても、どんな過去があったとしても、その人は天の故郷(天国)に迎え入れられると約束されています。先に召された召天者の方々も、この約束を信じて、天のふるさとに帰って行かれました。召された方々は、それぞれ生きた時代も、置かれていた状況も異なります。それでも、神様はお一人お一人のことを同じようにこよなく愛されて、恵みをもってその人生を支え導いてくださいました。そして、神様が定められた「時」に、「天の故郷」へと帰って行かれました。このことをぜひ心に留めたいと思います。
この「天のふるさと」は、すべての人に開かれています。先に召された故人も、愛する家族が天のふるさとに帰って来ることを心から願っていると思います。地上に残してきた、愛する家族も、まことの神様を信じて生きて欲しい、そして天国で永遠に過ごせるようにと願っているのではないでしょうか。それが、故人が何よりも望んでいることなのです。
私たちも、天の故郷を思いながら、天国の希望をもって、与えられた人生を一日一日、精一杯歩んでまいりましょう。