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マルコの福音書9:2-13 「イエスの栄光」 齋藤牧師
【今週のみことば】
「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。」(ヨハネの福音書1:14)
【礼拝メッセージ要旨】
今日の個所には、イエスが山の上で、弟子たちに栄光に輝く姿をお見せになったという出来事が描かれています。
1)栄光に輝くイエス
それから6日目に、イエスはペテロとヤコブとヨハネだけを連れて、高い山に登られました。そのとき、彼らの目の前で、信じられないようなことが起こります。まず、イエスの御姿が変わりました(2)。イエスの衣が非常に白く輝いて、その白さはどんなさらし職人にもなし得ないような、見たことのないような白さだったというのです(3)。これは、イエスの本来のお姿を現しています。「白さ」は神の「聖さ」を、「輝き」は神の「栄光」を表しています。このときイエスは、本来の神としてのお姿を弟子たちに示されました。イエスが神であることを彼らに分からせるためであったと思います。
2)エリヤとモーセが現れる
さらに、そこに「エリヤ」と「モーセ」が現れて、イエスと語り合っている姿が見えました(4)。彼らは旧約聖書を代表する、イスラエルの偉大な預言者たちです。これは、イエスが旧約とつながりがあることを示された、ということではないでしょうか。神が旧約を通して約束されたことが、イエスによって完成されるということです。この光景を目の当たりにして、3人の弟子たちは恐れながらも、なんと素晴らしいことだろうと受け止めたようです。このときペテロは、イエスとモーセとエリヤのために一つずつ「幕屋」を造りましょうと申し出ました(5)。あまりにもすばらしいことなので、3人にいつまでもここに住んでほしいという、そんな願いから出てきた言葉のようです。彼はイエスを、モーセやエリヤと同じ立場に置いていました。イエスも旧約時代の偉大な預言者のようなお方としか見ていなかったのです。
3)天からの声
「これはわたしの愛する子。彼の言うことを聞け。」(7)そのとき、天からの声が聞こえてきました。イエスのことがまだよく分かっていない弟子たちに、イエスがどういうお方なのか、父なる神様は直接示されました。イエスは父なる神様が愛される「神の子」、つまり神ご自身であり、モーセやエリヤよりも、イエスこそ聞き従うべきお方である、ということを示しています。
このように彼らは、普段のイエスとは全く違う神の栄光に輝く姿を目撃し、神の声を直接その耳で聞きました。それでも、彼らはまだイエスのことを完全に理解することができないでいました。そのことが分かるのは、イエスが十字架で死なれて、よみがえられたあとのことになります。ペテロはこの時の体験を、晩年になって手紙に書き残しています(ペテロⅡ1:16~18)。この時の光景は、彼の心に一生涯焼き付いていたようです。彼はやがて失敗し、イエスを3度否むことになりますが、その失敗を通して自分がいかに弱く小さなものであるか、そんな自分をイエスがどんなに愛し、あわれんでくださったか、そのイエスが栄光に輝く神ご自身であることを知りました。そして彼は一生涯かけて、イエスに従う者とされていったのです。
4)イエスの栄光
最後に、このところから教えられることとして3つのことを確認したいと思います。まず一つ目のことは、「イエスは栄光の主である」ということです。この出来事は、イエスが「神の栄光を持つお方」であることをハッキリと示しています。神の「栄光」とは何でしょう。「栄光」という言葉には、もともと「重い」という意味があります。重みとか価値とか威厳、そうしたことを表しています。一言で言うならば、「神様のすばらしさ」のことです。創造主である神の永遠性、自存性、聖さ、全知全能、義、そして愛。そうした神のご性質のすべてが神の栄光(神様のすばらしさ)を現しています。私たちが信じているイエス様は、そんな「神の栄光に満ちた」お方なのです(ヨハネ1:14)。
5)栄光の主が低くなられた
次に2つ目のことは、「栄光の主であるお方が低くなられた」ということです。本来、これほどの栄光に富んだ無限のお方が、限界のある人となって、この世界に降りて来てくださいました(ピリピ2:6,7)。なぜそこまでして低くなり、ご自身を空しくされたのでしょうか。私たち罪人を、罪の奴隷から救い出すためにです。イエス様は、そのために私たちと同じようになってくださいました。神様は、それほどまでに私たちのことをあわれみ、愛してくださったのです。イエスが取税人「ザアカイ」の名前を呼び、「わたしは今日、あなたの家に泊まることにしている」(ルカ19:5)と言われたように、イエス様は、私たちに会うために、天の高いところから、低くなって下りて来てくださいました。この恵みを決して忘れないようにしたいと思います。
6)自分のからだをもって神の栄光を現す
そして3つ目のことは、「自分のからだをもって神の栄光を現す」ということです。「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから、自分のからだをもって神の栄光を現しなさい。」(コリントⅠ6:20) 栄光は神様のものです。私たちの中には、栄光と呼べるものは何もありません。それでも、イエス様に聞き従うときに、私たちも神の栄光を現すものとなるということです。私たちも、鏡のように神の栄光を映すものとなることが期待されています。例えば、私たちの生き方を通して神様のすばらしさを現すことができると思います。神を愛し、隣人を思いやることを普段の生活の中で実践することです。また、賛美をささげることも、神の栄光を現すことではないでしょうか。神様への感謝と喜びを込めて、心からの賛美がなされるならば、それは神の栄光を現すことになります。
私たちも私たちのからだをもって、神様の栄光、イエス様の栄光を現してまいりましょう。