主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

マルコの福音書9:14-29 「生きて働く信仰」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「できるなら、と言うのですか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」(マルコの福音書9:23)

【礼拝メッセージ要旨】

イエスは「信じる者には、どんなことでもできるのです」と言われました。これは、どういうことを言っているのでしょうか。今日は、「生きて働く信仰」と題して、「信仰と祈り」について学びたいと思います。

1)ああ、不信仰な時代だ
イエスが他の弟子たちのところに戻ると、大勢の群衆と律法学者たちが弟子たちを囲んで、弟子たちと何かを論じ合っていました。イエスが尋ねると、ある一人の男性が、悪霊につかれた自分の息子から悪霊を追い出してほしいと弟子たちに依頼したけれども、弟子たちには追い出せなかったことを告げます。これを聞いてイエスは、「ああ、不信仰な時代だ。いつまで、わたしはあなたがたと一緒にいなければならないのか。」と言われました。実は、イエスは弟子たちに「汚れた霊を制する権威」を与えていました(マルコ6:9)。彼らは、自分たちにはできるはずだという高ぶった思いで引き受けたようです。ところが、今回は何もできなかったのです。イエスは、そんな弟子たちの「不信仰」を嘆かれました。私たちも、自分の知識や経験に頼り、あるいは過去の「成功体験」にとらわれて、祈ることを忘れて、自分の思いのままに突き進んでしまうようなことはないでしょうか。そうならないように気をつけなさい、と戒めています。
またこのことは、すべてのイスラエル人に言われたように思います。自分たちは神に選ばれた民だと誇り、律法を忠実に守り行っている自分たちは正しいとされていると信じて、安心し切っていた彼らの「不信仰」をイエスは嘆かれたのではないでしょうか。悪霊につかれて苦しんでいた息子の姿は、自分たちの罪に気づけずに苦しんでいたイスラエル人の姿を表しているようにも思います。さらには、造り主である神様から離れて、自分勝手に生きて苦しんでいるすべての人間の姿をも表しているのかもしれません。

2)おできになるなら
「しかし、おできになるなら、私たちをあわれんでお助けください。」(22)父親の中には、イエスにはできないかもしれないという思いがありました。これに対してイエスは、「信じる者には、どんなことでもできるのです。」(23)と言われました。すると父親は、自分がイエスを信じ切っていなかったことを素直に認めて、「あなたを信じます」と告白して、イエスに助けを求めました。そうしてイエスは、その息子から悪霊を追い出されました。

そのあと、弟子たちはイエスに「私たちはどうして悪霊を追い出せなかったのですか」と尋ねます。それに対してイエスは、「この種のものは、祈りによらなければ、何によっても追い出すことができません。」と言われました。彼らには「信仰による祈り」が足りなかったと言われているように思います。彼らの不信仰を戒められたのです。

3)信じる者にはどんなことでもできるとは?
では、イエスが言われた「信じる者には、どんなことでもできるのです。」とは、どういうことを意味しているのでしょうか。一見すると、これは「イエスを信じれば、自分の願いがすべてかなえられる。」と言っているようにも聞こえます。しかし、そうでないことは私たちの人生経験から分かることです。どんなに祈ってもかなえられないこともあるのです。このことが意味している大事なこととして、3つの点を挙げたいと思います。

①まず1点目のことは、「イエスへの信仰によって祈り求めること」です。
「イエスへの信仰」とは、イエスが全能の神であり、私たちを愛し、私たちを罪から救うために人となってこられたお方であることを信じることです。このお方が、自分の救い主であることを信じて、私たちの人生を明け渡すことです。そして、その信仰によって祈り求めることです。この父親も弟子たちも、このところが欠けていました。彼らは、イエスを心から信じることよりも、自分の思いの方を優先させていたのです。その信仰が問われました。

②2点目のことは、「「良いもの」を与えてくださると信じて祈ること」です。
イエス様は、私たちが祈り求めることを願っておられます(マタイ7:7)。「何でもわたしに相談しなさい、打ち明けなさい。」と言っておられるようです。自分の思いで判断したり、人に相談することよりも大事なことは、私たちのことを誰よりも知っておられて、心配してくださっているイエス様に心の思いを打ち明けて、祈り求めることなのです。イエス様は、自分にとって一番「良いもの」を与えてくださると信じて祈り求めることです(マタイ7:11)。私たちにとって究極の「一番良いもの」とは、「罪からの救い」と言えます。この世でどんなに成功し、富を築き、名声を得、長生きをすることよりもはるかに価値がありすばらしいことは、私たちの造り主であられる神様を知り、罪を赦されて、神様との関係に入れていただき、永遠を生きることです。このときイエスの心にあったことは、すべての人が「罪から救われること」であったのではないでしょうか。イエスを信じる者を、イエス様は必ず罪から救い出してくださいます。これが、「どんなことでもできるのです」と約束されたことの、一番大きな意味であると思います。そのために、イエスはこのあと十字架に向かいます。イエス様は、私たちのために「ご自身のいのち」を与えてくださいました。そうすると、私たちは本当に価値ある大きな恵みを受けているにも関わらず、目の前の小さなことで思い悩んでいるようなものかもしれません。イエス様は、そんな私たちのことを心配してくださり、あわれんでくださいます。そして、みことばによって私たちを助け励まし、導いてくださいます。また、「日ごとの糧」を与えてくださいます。

③3点目のことは、「祈りの結果を信仰によって受け入れる」ということです。
私たちの日常生活の中で祈り求める一つ一つの具体的な祈りについては、イエス様がどのように答えてくださるかは分かりません。願ったようにはならないこともあるのです。それでも確かに言えることは、「イエス様は私たちを愛しておられる」ということと、「みこころ(神のご計画)がなる」ということです。「信じる者には、どんなことでもできるのです。」とは、祈りの結果、たとえ願ったようにならなかったとしても、そのことを信仰によって受け入れられるように、私たちの心を守ってくださる、ということではないでしょうか。このことを信じて、すべてをご存じで、この世界を治めておられる全能の神様にすべてをおゆだねしたいと思います。

私たちの信仰が、形だけのものではなく、「生きて働くもの」となるように、イエス様に信頼し、祈り続けてまいりましょう。